【表紙】 第1期 令和6年度-令和11年度 横浜市文化財保存活用地域計画 Regional Plan for Preservation and Utilization of Cultural Properties in Yokohama City,Kanagawa Prefecture,Japan 素案 横浜市 【目次】 はじめに 1ページ 序章 1節 計画作成の背景・目的 2ページ 2節 本計画における「文化財」と「歴史文化」 3ページ 3節 本計画の位置付け 4ページ 4節 本計画作成の体制・経過と計画期間・進捗管理 9ページ 第1章 横浜市の概要 1節 自然的・地理的環境 10ページ 2節 社会的状況 13ページ 3節 歴史的背景 19ページ 第2章 横浜市の文化財の概要 1節 文化財保護法・条例に基づく保護 28ページ 2節 その他の制度による保護 34ページ 3節 未指定文化財 35ページ 第3章 横浜市の歴史文化の特徴 1節 海と川とともに暮らした先史から古代の人々 36ページ 2節 鎌倉文化の広がり、戦乱と地域の再編成 36ページ 3節 陸路と海路が交差する江戸の玄関口 37ページ 4節 開港に始まる国際性と近代性 38ページ 5節 谷戸や海辺で営まれた暮らし 39ページ 第4章 文化財の保存・活用の方向性と本計画で目指す姿 1節 文化財の保存・活用の方向性 40ページ 2節 本計画で目指す3つの姿 41ページ 3節 文化財の保存・活用に関するこれまでの取組 42ページ 4節 目指す姿の実現に向けた課題 46ページ 第5章 文化財の保存・活用の方針と施策 1節 文化財の保存・活用に関する方針 50ページ 2節 文化財の保存・活用に関する施策 53ページ 第6章 文化財の総合的・一体的な保存・活用 1節 総合的・一体的な保存・活用 60ページ 2節 関連文化財群-9つのストーリーと構成する文化財 60ページ 3節 文化財保存活用区域 89ページ 第7章 文化財の保存・活用の推進体制  1節 推進体制 98ページ 2節 行政の体制 98ページ 3節 行政以外の主体 99ページ 資料編 102ページ 【2ページ】 序章 1節 計画作成の背景・目的 本市では、文化財保護法等に基づき、文化財の保存・活用を進めるとともに、1987(昭和62)年に制定した「横浜市文化財保護条例」に基づき、歴史上、学術上の価値を有する文化財の指定制度の他、地域住民が大切に守ってきたもの及び地域を知る上で必要な文化財を緩やかな規制で幅広く保護する登録制度を運用しています。この他、無形民俗文化財保護団体の認定制度を運用し、地域に結びついた特色ある民俗芸能の保護団体の育成にも取り組んでいます。 また、文化財保護条例が施行された1988(昭和63)年には、「歴史を生かしたまちづくり要綱」を施行し、「文化財保護」と「歴史を生かしたまちづくり」の制度を相互に補完しながら、それらの保護に努めてきました。同要綱では、景観上重要な歴史的建造物等を魅力あるまちづくりの核として保全活用する取組を進め、歴史的建造物の認定・登録制度を運用しています。 この他、横浜市魅力ある都市景観の創造に関する条例(以下、「景観条例」と言う。)に基づく特定景観歴史的建造物制度の運用、公園内における歴史的建造物の公開・活用、横浜港に関する文化財を活用した賑わいの創出、各地域の歴史文化を生かしたイベントなど、他の行政分野においても様々な取組が行われています。また、関係団体、市民団体、NPO法人、市民ボランティアなど、行政以外の主体による取組も行われています。2018(平成30)年には、これまで法や条例で保護されてきた文化財と、価値付けが明確でなかった未指定文化財も含めて、まちづくりなどに生かし、地域社会総がかりでその継承に取り組むことを趣旨とした文化財保護法の改正が行われ、都道府県による文化財保存活用大綱の策定、市町村による文化財保存活用地域計画の作成が可能となりました。文化財の保存・活用を進めるにあたっては、高齢化や自然災害の増加、その他社会状況の変化に伴い、文化財の維持管理や保存・活用の担い手育成などの面で課題が生じています。また、法や条例で保護された文化財の他、まだ価値付けが明確になっていないものも多くあります。そこで、本市の文化財の保存・活用に関する現状や課題を整理するとともに、保存・活用の基本的な方向性や取組を可視化し、多様な主体が連携して文化財の保存・活用の取組を計画的、継続的に推進するため、2019(令和元)年に策定された神奈川県文化財保存活用大綱を勘案し、文化財の保存・活用に関する総合計画として「横浜市文化財保存活用地域計画」を作成することとしました。 【3ページ】 2節 本計画における「文化財」と「歴史文化」 ◆文化財  本計画における文化財とは、横浜の歴史や文化を知る手がかりとなるものや地域で大切に守られてきたものを指します。文化財保護法や条例に基づく指定等文化財だけでなく、埋蔵文化財、文化財の保存技術の他、「歴史を生かしたまちづくり要綱」で認定された「認定歴史的建造物」※1、本市で認定された無形民俗保護団体、未指定文化財※2も含みます。 ◆歴史文化  本計画における歴史文化とは、文化財が置かれている自然環境・周囲の景観など、文化財の周辺環境も含め、文化財とそれに関する様々な要素が一体となったものを指します。 脚注※1 認定歴史的建造物の一部は、認定歴史的建造物への認定後に国の重要文化財に指定された旧横浜船渠株式会社第二号船渠のように、指定等文化財に該当するものも含む。 脚注※2 未指定文化財は、調査により把握・整理されている文化財のうち、指定・登録等されていないものを指し、文化財保護法で規定される有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6類型以外の文化財も含む。 【4ページ】 3節 本計画の位置付け  本計画は、本市における文化財の保存・活用に関する中長期的な目標(マスタープラン)と具体的な取組内容(アクションプラン)を示すもので、神奈川県文化財保存活用大綱と整合を図る他、本市の計画の関連する部分との整合・連携を図り、文化財保護法第183条の3で規定する法定計画として作成しました。また、個別の文化財保存活用計画についても、本計画との整合・連携を図るものとします。 ① 関連計画の概要 ㋐文化財の保存・活用に関する計画 ◆神奈川県文化財保存活用大綱 [2019(令和元)年11月]  神奈川県における文化財の保存・活用の基本的な方向性を明確にし、県や市町村、県民など、地域全体で連携・協力しながら、文化財の保存・活用に取り組む共通の基盤として策定しています。 「文化財を守り、伝え、活用し、歴史や文化、自然を感じる魅力あふれる神奈川へ」を基本理念とし、「文化財の価値に関する意識の共有」、「県民が共に支える文化財の保存・継承」、「文化財を活用し、人を引きつける地域の魅力づくり」の3つを基本的方向性として示しています。 <計画期間>特定の期間は設定しない。※3 脚注※3 社会状況の変化、本県の総合計画の改定及び市町村の状況等も踏まえ、より望ましい文化財の保存・活用を図るために必要が生じた場合は、随時見直しを行う。 【5ページ】 ㋑本市の総合計画 ◆横浜市中期計画2022-2025[2022(令和4年)年12月]  2040(令和22)年頃の横浜のありたい姿「共にめざす都市像」の実現に向け、全ての政策分野の基軸に据える上位指針として、基本戦略「子育てしたいまち 次世代を共に育むまち ヨコハマ」を掲げ、9つの中期的な戦略を定めるとともに、戦略をふまえて、計画期間の4年間で重点的に取り組む38の政策を取りまとめたものです。文化財の保存・活用に関する取組は、政策30の主な施策3「歴史と創造性を生かしたまちづくり」に位置付けられています。 計画期間 2022(令和4)年度~2025(令和7)年度(4年間) 関連箇所 政策30 市民に身近な文化芸術創造都市の推進 主な施策3 歴史と創造性を生かしたまちづくり …創造界隈拠点などの歴史的建造物等を活用した魅力的なまちづくりを推進します。あわせて、都心臨海部の景観を先端技術による光と音楽で演出するなど、横浜ならではの夜景をまちぐるみで創出します。また、「横浜市文化財保存活用地域計画」に基づき、横浜に残る多様な文化財等の保存・活用を効果的に進め、市民の学びの機会の充実を図ります。 ㋒本市の教育に関する総合計画 ◆第4期横浜市教育振興基本計画[2023(令和5年)年2月]  2030(令和12)年頃の社会を見据えて、横浜の教育が目指すべき姿を描いた「横浜教育ビジョン2030」(2018(平成30)年策定)のアクションプランです。また、教育基本法第17条第2項に基づく「地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画」として位置付けています。  計画では、「横浜教育ビジョン2030」が示す教育の方向性に基づき、8つの柱とそれに連なる各施策を示しています。  文化財の保存・活用に関する取組は、柱8の施策3「横浜の歴史に関する学習の場の充実」に位置付けられています。 計画期間 2022(令和4)年度~2025(令和7)年度(4年間) 関連箇所 柱8 市民の豊かな学び 施策3 横浜の歴史に関する学習の場の充実 ・行政のみならず、市民、企業、学校などと協働、連携して横浜の歴史を学ぶ上で欠かせない文化財の保存・活用に取り組みます。 ・児童生徒や市民が、横浜の歴史文化を身近に感じ、学ぶことで、愛着を感じられるよう、学習機会の充実を図ります。 【6ページ】 ㋓本市の防災に関する総合計画 ◆横浜市防災計画  災害対策基本法に基づき、本市における災害に対処するための基本的かつ総合的な計画として、横浜市防災会議が策定する地域防災計画です。災害の種類に応じて、「震災対策編」(令和5年4月)、「風水害等対策編」(令和4年4月)、「都市災害対策編」(令和5年4月)の3編で構成しています。文化財の防災対策については、「震災対策編」に位置付けられています。 計画期間 毎年検討を加え、必要があると認めるときは、修正します。 関連箇所 第2部 災害予防計画(第1章 地震に強い都市づくりの推進) 第10節 文化財等の防災対策 過去の大震災では、多数の文化財等が被災しました。 本市においても、歴史的に重要な文化財等が多数あり、震災時を考慮した以下の対策を実施しています。 1 防災訓練の実施 文化財防火デー(毎年1月26日)を中心として、文化財の所有者・管理者、消防機関、 地域住民等の協力の下で防災訓練を実施しています。 2 文化財の所在情報等の充実・整備 横浜市文化財保護条例(昭和62年12月条例第53号)に基づき、文化財の所在や員数、形式、構造等の情報を整理・把握しています。 3 歴史的建造物等の防災対策 本市では、「歴史を生かしたまちづくり要綱」(昭和63年4月1日実施)を定め、歴史的建造物等の保全と活用を推進しています。 この要綱に基づき、歴史的建造物等の維持管理、耐震改修、防災施設などの助成をしています。 ㋔その他の計画 ◆横浜市環境管理計画 [2018年(平成30)年11月]  「横浜市環境の保全及び創造に関する基本条例」に基づく環境の総合計画として、環境に関する施策を総合的かつ計画的に推進するための計画で、環境分野の中長期的な目標や方針を示しています。 関連箇所 5章 環境側面からの基本施策 基本施策2 生物多様性 ~身近に自然や生き物を感じ、楽しむことができる豊かな暮らし~ [生物多様性横浜行動計画(ヨコハマbプラン)] 3 取組方針 (2)保全・再生・創造~地域の特性に応じた保全・再生・創造の取組を進めます~ ●生き物の生息・生育環境の保全を中心とした取組 ●動物園における種の保全の取組(生育域外保全) ●再生を中心とした取組 ●創造を中心とした取組 【7ページ】 ◆横浜市都市計画マスタープラン全体構想[2013(平成25年)年3月]  本市の都市計画に関する長期的な基本方針であり、都市計画法第18条の2に規定されている「市町村の都市計画に関する基本的な方針」として位置付けられています。 基本的な目標年次:2025(令和7)年 関連箇所 目標⑥ 横浜らしい水・緑環境の実現と、都市の魅力を生かしたまちづくり 歴史的建造物や美しい街並み、海辺の倉庫等といった横浜特有の地域資源を生かした都市空間の保全・整備といった都市デザインによる魅力あふれる都市空間の形成を継続します。それとともに、それらの空間をアーティストやクリエーター等による創造的活動の拠点として活用するといった創造都市の取組を推進し、交流拠点都市としての魅力を更に高めます。多くの市民に親しまれている緑地・農地や古民家などの地域資源を生かし、各地域が持っている魅力的な景観を今後とも維持保全し、更に高めます。(一部抜粋) ◆横浜市景観計画[2023(令和5)年1月]  景観法に基づき、地域の景観形成に応じて、区域や良好な景観の形成のための方針、建築物の建築等に対する基準(景観形成基準)等を定めています。市域全体を景観計画区域としていますが、そのうち、地区に応じた良好な景観を形成する地区(景観推進地区)を、4区域指定 ※4し、行為制限や必要な手続きについて定め、景観形成を図っています。 脚注※4 景観推進地区:関内地区、みなとみらい21中央地区、みなとみらい21新港地区、山手地区 関連箇所 第2 良好な景観の形成に関する方針 2 良好な景観形成の考え方 「横浜らしい景観をつくる10のポイント」と、地形や歴史、都市機能、計画上の位置づけ等から景観の特徴で6つのエリアに分類した「地域ごとの景観づくりの方向性」を手がかりに、その場所ならではの景観の将来像を考え、良好な景観形成を図ります。 【横浜らしい景観をつくる10のポイント】(一部抜粋) ③歴史的景観資源の保全と活用による景観づくり ④水と緑の保全・活用と創出による景観づくり ⑩想像力がかきたてられ、物語性が感じられる景観づくり 第3 景観重要建造物の指定の方針 豊かな水・緑と歴史的建造物や先進的なまちづくりが織り成す景観は、横浜の特徴かつ最大の魅力であり、「横浜らしさ」の重要な要素となっています。 このような都市景観を構成する次のような建造物を景観重要建造物として指定するものとします。 (1)港町や異国の文化を伝える建造物 (2)横浜の発展の歴史を伝える建造物 (3)谷戸や里山などの自然景観を構成する形態意匠の建造物 (4)地域独自の個性と魅力ある街並みを構成する形態意匠の建造物 第4 景観重要樹木の指定の方針 豊かな水・緑と歴史的建造物や先進的なまちづくりが織り成す景観は、横浜の特徴かつ最大の魅力であり、「横浜らしさ」の重要な要素となっています。 このような都市景観を構成する次のような樹木を景観重要樹木として指定するものとします。 (1)公共施設の緑を補完し、緑の連担を形成している樹木 (2)木陰をつくり、やすらぎや憩いの空間を創出している樹木 (3)地域の歴史を伝える樹木 (4)地域の特徴的な街並みを構成する樹木 【8ページ】 ②SDGs(持続可能な開発目標)との関連  2015(平成27)年9月、「国連持続可能な開発サミット」が開催され、2030(令和12)年に向けた国際社会全体の行動計画である「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。同アジェンダでは、宣言に加え、169の関連ターゲットを伴う17の目標が掲げられました。  SDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」という考え方は基礎自治体にも求められ、本市では、「横浜市SDGs未来都市計画(2022~2025)」を策定し、あらゆる施策においてSDGsの実現に向けた取組を進めています。  本計画においても、SDGsの基本理念をふまえた取組の方針や施策を通じて、教育やまちづくり、観光など様々な分野と連携を図りながら、「持続可能な文化財の保存・活用」を進めていくことを目指します。 なお、本計画の方針や施策とSDGsの目標との関連は、第5章1節に記載しています。 図序-4 本計画に関する主なSDGs(持続可能な開発目標)※5 目標4 すべての人々への、包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する 4.7 2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。 目標8 包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用( ディーセント・ワーク) を促進する 8.9 2030年までに、雇用創出、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業を促進するための政策を立案し実施する。 目標11 包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する 11.4 世界の文化遺産及び自然遺産の保護・保全の努力を強化する。 目標12 持続可能な生産消費形態を確保する 12.8 2030年までに、人々があらゆる場所において、持続可能な開発及び自然と調和したライフスタイルに関する情報と意識を持つようにする。 目標13 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる 13.1 すべての国々において、気候関連災害や自然災害に対する強靭性(レジリエンス)及び適応力を強化する。 13.3 気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する。 目標15 陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する 15.9 2020年までに、生態系と生物多様性の価値を、国や地方の計画策定、開発プロセス及び貧困削減のための戦略及び会計に組み込む。 目標17 持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する 17.17 さまざまなパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する。 脚注※5 外務省ホームページに掲載されている、「持続可能な開発のための2030アジェンダ(仮訳)」を参照し、関連する箇所を抜粋した。また、下線は本計画に関連する事項。 【9ページ】 4節 本計画作成の体制・経過と計画期間・進捗管理 ①本計画作成の体制・経過  文化庁の「文化財保護法に基づく文化財保存活用大綱・文化財保存活用地域計画作成等に関する指針」に基づき、学識経験者、文化財所有者、行政関係者、文化・まちづくりに関する団体、市民団体等で構成する「横浜市文化財保存活用地域計画作成に関する協議会」、文化財に関する有識者で構成する「横浜市文化財保護審議会」からご意見をいただくとともに、文化庁による指導・助言、神奈川県による助言、公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団による専門的助言や監修のもと、作成しました。また、2020(令和2)年に文化財の所有者・管理者向けのアンケート、2023(令和5)年12月~2024(令和6)年1月に市民意見募集を行いました。 【資料編1】横浜市文化財保存活用地域計画作成に関する協議会 【資料編2】横浜市文化財保護審議会 ②計画期間  前述の指針では、地方公共団体が作成する文化財保存活用地域計画の計画期間を概ね5年から10年とすることとされています。本市では、「横浜市中期計画2022〜2025」及び「第4期横浜市教育振興基本計画」の計画の周期(4か年)に合わせ、2024(令和6)年度から2029(令和11)年度の6年間を計画期間とします。  なお、社会情勢や関連計画の内容等、本計画を取り巻く環境に大きな変化が生じた場合は必要に応じて見直しを行い、軽微な変更※6を行う場合には県を通じて文化庁へ報告し、軽微ではない変更が必要な場合には文化庁長官による変更の認定を受けます。 脚注※6 軽微な変更とは、「計画期間の変更」、「市町村の区域内に存する文化財の保存に影響を及ぼすおそれのある変更」、「地域計画の実施に支障が生じるおそれのある変更」以外を指す。 ③本計画の進捗管理と自己評価の方法  本計画では、文化財の保存・活用を、より効果的に進めるため、3つの方針と12の施策を設定するとともに、各施策を実現するための取組のうち主要なものを「主な取組」として提示しています。  各施策においては、主な取組によってもたらされる効果や成果を測るため、客観的・定量的に把握できるものや、施策の中で重点的に取り組む事業の実績を表すものを、指標として設定します。  これらの施策・取組については、年度ごとにその実施状況を把握・評価し、本計画の実施報告書としてまとめ、横浜市文化財保護審議会への報告等を行います。  また、計画期間の最終年度には計画期間後の取組等についても検討します。 【10ページ】 第1章 横浜市の概要  本章では、本市の文化財の保存・活用を考えるための前提となる、自然的・地理的環境と、社会的状況、歴史的背景について概観します。 1節 自然的・地理的環境 ①位置  本市は関東平野の南西部、神奈川県の東部に位置し、北は川崎市、西は大和市・藤沢市・東京都町田市、南は鎌倉市・逗子市・横須賀市に接しており、東は東京湾に面しています。面積は約435k㎡ で、神奈川県全体の面積の約18%を占めています。 ②地形・地質  市域には、北西部に多摩丘陵、南部に三浦丘陵に連なる丘陵部があり、8つの水系と56の河川が流れています。坂や傾斜地が多く起伏に富んだ複雑な地形となっており、広域的に連続した水・緑環境を有しています。また、本市の地形は、丘陵地、台地、低地及び埋立地に分けられます。海岸部には埋立地が造成されており、海岸線のほとんどが人工的な地形に改変されています。  現在確認できる市域で最古の地層は、約250万年前~120万年前に形成された「上総層群」です。上総層群はかつて関東平野が海だった頃に、海底の砂や泥が堆積してできた海成層群で、東京湾を渡って千葉県まで広がっています。比較的硬い地層であるため、一般的に市内の建築物の支持層となっています。海成層では貝化石が発見されることがあり、上総層群の一つで、主に金沢区から鎌倉市にかけて分布する野島層は、良好な状態の貝化石が発見されており、市内で唯一、旧海岸線を感じとれます。上総層群を不整合に覆う「相模層群」は約60万年前以降の気候変動によって海面の下降と上昇が繰り返されたことで形成された海成層群です。下降時には浸食谷が、上昇時には溺れ谷が堆積物により埋もれ、その上を火山灰が覆うサイクルを繰り返しました。  約8万年前以降には砂礫層と、横浜の周辺にある「富士山」と「箱根山」等の火山灰が堆積し風化して形成された「関東ローム層」が形成され、多摩丘陵や下末吉大地を流れる河川沿いに分布しています。約2万年前には最終氷期最盛期以降の海面上昇により沖積層が形成され、河川の下流域や海岸低地などで沖積低地を構成しています。 【11ページ】 ③水系  横浜市には、一級河川が9河川、二級河川が24河川、準用河川が23河川、合計56の河川が存在します。その総延長は約215kmになります。 【12ページ】 ④植生  市域では、市街地等が全市の74.1%を占めています。土地本来の植生である自然草原や自然林は、全体の1%を下回っており、コナラ林を中心とする二次林は7.1%、スギやヒノキを中心とする植林は3.3%となっています。市内でみられる緑被地の大半は、自然植生になんらかの形で人間の手が入った代償植生であると言えます。  本市には天然記念物に指定されている植物(樹木・樹叢)が15件(県指定6件、市指定9件)あります。また、潤いのある市民生活の確保と都市の美観風致の維持のため、古くから街の象徴として親しまれ、故事来歴などのある樹木を「名木古木」として指定しています。 ⑤動物  市域では主に温帯の動物が多く確認できます。動物の生息状況は、市域の大部分が低い丘陵と台地から成り立っているにも関わらず、動物の生態や環境状況によって生息状況は様々です。  例えば、北部だけに分布するチョウとして、クロヒカゲやヒメキマダラセセリ、ホシミスジが挙げられます。他方、南部にしか分布していないトンボとして、タカネトンボやコオニヤンマが挙げられます。  また、以前は関東地方に広く分布していたミヤコタナゴ(国指定天然記念物)は、1976(昭和51)年に港北区勝田町(現・都筑区)の権田池で生息が確認されたのを最後に、自然水域から姿を消してしまいました。本市では、1976(昭和51)年の権田池での発見後に緊急避難させ、国や県、有識者の意見を聞きながら、保護・増殖の取組を進めています。 【13ページ】 2節 社会的状況 ①人口  本市の人口は、2022(令和4)年10月1日現在で3,771,961人となっています。第1回国勢調査が実施された1920(大正9)年は人口422,938人、世帯数95,243世帯でしたが、その後増加が続き、1951(昭和26)年で人口100万人を超え(1,001,860人)、1968(昭和43)年に200万人を超え(2,047,487人)、1986(昭和61)年に300万人を超えています(3,049,782人)※7。しかし、近年は人口増加の幅が小さくなってきており、多い時には年10万人を超えて増加していましたが、2021(令和3)年には4,257人の減少となりました。※8  また、2020(令和2)年の国勢調査を基に行った横浜市の人口の将来推計では、今後も減少が続き、2040(令和22)年に363万人、2065(令和47)年に315万人まで緩やかに減少していくことが見込まれています。  本市の人口の年齢層別割合をみると、少子高齢化が進んでいることが分かります。2012(平成24)年では15歳未満が13.1%、65歳以上が20.4%でしたが、2022(令和4)年現在では15歳未満が11.5%(1.6ポイント減少)、65歳以上が24.6%(4.2ポイント増加)となっています[図1-9]。  外国人人口は、2022(令和4)年1月1日現在で約9万9千人と総人口の2.7%を占めており、長期的に増加が続いています。政令市の中では、大阪市に次いで2番目に多くなっています。 脚注※7 いずれも、国勢調査結果及びそれを基に自然増減と社会増減を加減して推計した人口による数値。 脚注※8 横浜市統計書より、各年10月1日時点の人口増減を参照した。 【14ページ】 ②市域の変遷  1889(明治22)年に市制が施行された当時、5.4㎢だった市域の面積は、1939(昭和14)年の第6次市域拡張で400.97㎢に広がり、その後、海岸沿いの埋め立て等により、2022(令和4)年3月現在、435.95㎢となっています。 ③産業  1859(安政6)年の開港以来、横浜港は日本の物流及び生産の拠点として、日本の経済の発展を支えるとともに、都市横浜の発展にも大きな役割を果たしてきました。  本市の産業は、京浜工業地帯の一翼を担う製造業を中心として発展してきましたが、産業構造のサービス化の進展に伴い、近年では、第3次産業の構成比が80%を超えています。一方で、製造業や建設業からなる第2次産業の構成比は13%~15%台で推移しています。 【15ページ】 ④観光 ◆横浜を訪れる観光入込客数・観光消費額  買い物や飲食をはじめ、様々な観光コンテンツを持つ横浜には毎年多くの観光客が訪れています。  2019(令和元)年には観光入込客3,634万人、観光消費額は過去最高となる3,762億円を記録しましたが、新型コロナウイルス感染症の影響を大きく受け、2020(令和2)年は観光入込客1,629万人、観光消費額1,050億円となりました。その後は順調に回復しつつあり、2022(令和4)年は観光入込客2,922万人とコロナ禍前の8割程度、観光消費額は2,595億円とコロナ禍前の7割程度となっています。 ◆観光客の訪問先  多くの商業施設や音楽ホール等が集積し、夜景も楽しめる「みなとみらい・桜木町地区」をはじめ、山下公園や開港以来の歴史的建造物が多く残り、世界最大級のチャイナタウン・横浜中華街を有する「山下・関内・伊勢佐木町地区」、西洋館や外国人墓地など異国情緒あふれる街並みや名勝庭園三溪園など歴史や自然を楽しめる「山手・本牧・根岸地区」、アウトレットモールや水族館などの観光施設を有する「磯子・金沢地区」など、様々なエリアに多くの観光客が訪れています。  また、光と音楽の演出により、都市の新たな夜景をつくりだす創造的イルミネーション「ヨルノヨ」をはじめとする観光イベントにも多くの人が訪れています。コロナ禍前の2019(令和元)年には、観光イベントで年間1,790万人の方が横浜を訪れました。 ◆観光客の特徴  コロナ禍前は、横浜を訪れた観光客の約4割が横浜市民を含む神奈川県内在住者で、次いで東京都や埼玉県、千葉県などが多く、首都圏で全体の約7割を占めていました。2022(令和4)年度の調査では横浜市民を含む神奈川県内在住者が約5割を占め、東京都や埼玉県、千葉県などの近県在住者も含む首都圏が全体の約6割となりました。また、横浜を訪れる目的は、「飲食」が最も多く、次に「遊園地・テーマパークなどのレジャー」、「買い物」が上位となっています。 【16ページ】 ⑤交通 ◆交通網の整備状況  1960年代以降、人口の急激な増加と並行して鉄道や道路の交通網の整備が進められてきました。本市の鉄道計画は、国土交通省の交通政策審議会答申第198号「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」(平成28年4月)に基づいて取り組んでいます。地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクトとして、高速鉄道3号線の延伸、横浜環状鉄道の新設、東海道貨物支線の貨客併用化が位置付けられています。  道路交通網をみると、幹線道路として、東名高速道路、首都高速道路、横浜横須賀道路等の自動車専用道路や、臨海部を中心とした3本の環状道路、市中心部と郊外部とを結ぶ10本の放射道路が整備されています。また、旧東海道とほぼ同経路で国道1号、国道15号が市域を横断しています。道路交通網の整備に伴い、路線バスだけでなく、横浜駅と羽田空港等を結ぶ高速バス等、市外へのバス路線も充実するようになりました。 【17ページ】 ⑥文化財関連施設  文化財を所管する教育委員会では、時代領域ごとに設置された、横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館、横浜市三殿台考古館などの文化財施設を管理・運営しています。  なお、この他、市史資料室、横浜みなと博物館、横浜美術館など、市民や来訪者が横浜の歴史文化に触れることができる施設があります。 ◆横浜市歴史博物館  「横浜に生きた人々の生活の歴史」をテーマに、1995(平成7)年に開館。常設展示室では横浜3万年の通史を紹介するほか、市域の歴史・考古・民俗・美術をテーマにした企画展、講座やワークショップ等を実施。隣接地には国指定史跡「大塚・歳勝土遺跡」を中心とした遺跡公園があり、弥生時代の環濠集落と墓地を復元・公開。 ◆横浜開港資料館  開港100年を記念して編纂された『横浜市史』の収集資料を基礎に、1981(昭和58)年6月2日の開港記念日に開館。1854(安政元)年に日米和親条約が締結された場所にあり、旧館は、旧イギリス総領事館(市指定文化財)。19世紀半ばの開港期から関東大震災に至る時期を中心とした資料を収集・展示するとともに、閲覧室で広く資料を公開。 ◆横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館  旧横浜市外電話局(市認定歴史的建造物)の建物を保存・活用し、2003(平成15)年に開館。  横浜都市発展記念館は、現在の横浜市の原型が形成された昭和戦前期を中心に、「都市形成」、「市民のくらし」、「ヨコハマ文化」の3つの側面から、都市横浜の発展のあゆみをたどる施設。  横浜ユーラシア文化館は、東洋学者江上波夫氏から横浜市に寄贈された資料を中心に、ヨーロッパとアジアを合わせたユーラシア地域の歴史、考古、美術、民俗資料、関連文献を多数所蔵。常設展示のほか、企画展示、講座、コンサートなどを実施。 ◆横浜市三殿台考古館  縄文・弥生・古墳の3時代にわたる貴重な集落跡である三殿台遺跡(国史跡)を保護するとともに、住居跡や各時代の復元住居を整備。三殿台遺跡から出土した遺物の展示や、火起こし体験や勾玉づくりなどの体験教室も実施。 【18ページ】 ◆横浜市八聖殿郷土資料館  法隆寺夢殿を模した三層楼八角形の建物で、熊本県出身の政治家安西謙蔵が建立し、1933(昭和8)年に完成。1973(昭和48)年に、横浜市八聖殿記念資料館として開館し、幕末から明治にかけての本牧、根岸の写真や、市内で使用されていた農具を中心に展示。 ◆埋蔵文化財センター  埋蔵文化財に関する調査・研究等を行う機関。発掘調査報告書の刊行や調査成果の展示、公開等、埋蔵文化財の保護と継承についての理解を深める活動を行っている。常設展示室では、市内の遺跡から出土した遺物の一部を展示。 【19ページ】 3節 歴史的背景 ①先史〜原史時代(旧石器・縄文・弥生・古墳時代) ◆旧石器時代の狩猟生活  冷涼な氷期にあった旧石器時代は、モミなどの針葉樹林を中心とした植生の中、人々は遊動し、石を打ち欠いて製作した石器を利用してナウマンゾウなどの大型獣を狩猟していました。横浜市域でも石器を製作した痕跡や、河原石を集積して調理を行った施設の痕跡(礫群)が発掘されており(都筑区権田原遺跡)、最古のものは約3万年前に降灰した姶良Tn火山灰より古い地層からナイフ形石器が見つかっています(保土ケ谷区明神台遺跡、旭区矢指谷遺跡)。 ◆縄文時代のムラと営み  縄文時代への移行期には、気候が温暖となり、堅果類が実る落葉広葉樹が広がり始めるほか、イノシシなどの中・小型獣が増え、これらを調理するために土器が使用され始めました。本市では、縄文時代草創期(約1万4,000年前)の隆線文土器や、有舌尖頭器、石鏃が出土しており、旧石器時代から縄文時代へと移り変わる時期の狩猟活動をうかがい知ることができます(都筑区花見山遺跡、緑区長津田遺跡群)。  縄文時代早期(約1万年前)には数件の竪穴住居跡で構成される集落がみられるようになり、市域でも定住生活が始まります(都筑区大塚遺跡)。早期後半段階になると、野営の炉穴や落とし穴による狩猟場の遺跡が多数発見され(緑区霧ケ丘遺跡)、平潟湾ではマガキを採集していたことが確認できます(金沢区野島貝塚)。縄文時代前期(約7,000年前)には、気候の温暖化により海水面が上昇し、海岸線が内陸へと進入しました(縄文海進)。鶴見川流域や大岡川流域、金沢区域の平潟湾など、現在は陸地となっている市域の広い範囲で海進がみられ、その台地上には貝塚が造られます。貝塚からはハマグリなどの貝類のほかに、スズキやイノシシなどの骨もみられます(都筑区北川貝塚、茅ケ崎貝塚)。  縄文時代中期(約5,400年前)になると、発見される遺跡数が急激に増加し、検出される竪穴住居跡の軒数も増えます。また、数十軒の竪穴住居跡が環状に巡り、中央には墓域を有する大規模な環状集落が形成されます(都筑区神隠丸山遺跡、三ノ丸遺跡など)。  しかし、縄文時代後期(約4,400年前)に入ると、寒冷化の影響もあり、遺跡数・集落の規模が縮減していきます。続く縄文時代晩期には、市域の遺跡はごく僅かとなり、狩猟採集を中心とした社会が終焉を迎えます(金沢区称名寺貝塚、都筑区華蔵台遺跡)。 【20ページ】 ◆稲作の伝播  約2,800年前、朝鮮半島から九州北部へ稲作が伝播し、全国に農耕文化が普及する中、横浜市域に本格的に波及したのは弥生時代中期後半(2,200年前~2,000年前)でした(磯子区三殿台遺跡など)。周囲に大規模な空堀を巡らせた環濠集落が台地縁辺に多数成立し(都筑区大塚遺跡、権田原遺跡、折本西原遺跡など)、そのそばに方形周溝墓群が造られ(都筑区歳勝土遺跡)、集落に収まりきらない人口は周囲に小集落を成立させました。 ◆鉄器の普及と古墳の築造  鉄器の普及は、生産力を向上させ、人口を急増させました。3世紀中葉、古墳時代前期以降には、地域社会の階級分化や政治的統合が始まりました(港北区日吉台遺跡群など)。横浜市域では、日吉地域が他地域の中小首長を統合したとみられ、市域で唯一の大型前方後円墳が造られています(港北区観音松古墳)。  また、河川の流域ごとに中小の政治権力が市域を治めたとみられ、各地に古墳が造営されました(青葉区稲荷前古墳群など)。6世紀後半以降、横浜市域では崖面に直接墓室を穿つ「横穴墓」の形式で群集墳(小規模古墳の集合体)が造営されました(青葉区市ケ尾横穴墓群など)。  7世紀末~8世紀初頭には古墳や横穴墓は築造されなくなり、流域ごとの政治領域は、やがて古代の「郡」へと引き継がれたと考えられます。 【21ページ】 ②古代(飛鳥時代、奈良時代、平安時代)  有力氏族が連合して政治権力を奮ったヤマト王権は、7世紀半ば以降、律令(律は刑罰法、令は行政法)に基づく中央集権国家としての体制を整えていきました。地域社会の再編成に伴い設置された「評」は、8世紀には「郡」となり、「国―郡―里」の体制が構築されました。中央から派遣された国司と、地域の首長から任命された郡司が政治を担い、郡の役所は郡家と呼ばれました。横浜市域は、武蔵国都筑郡・久良郡を中心に、武蔵国橘樹郡・相模国高座郡・鎌倉郡の各一部を加えた範囲に及んでいます。都筑郡の郡家は長者原遺跡(青葉区)にその跡が残されており、久良郡の郡家は弘明寺(南区)周辺に所在したとみられます。  9世紀以降、東国(畿内から東方の地域)で武装蜂起が相次ぐ中、国司として派遣された中小貴族層出身者の中には、任期終了後に土着し、力を持つ者もいました。平安時代中期(10~11世紀)には、武力による紛争調停などにより平氏や源氏が力を伸ばし、源氏は源頼義・義家父子の時代に東国武士団の礎を築きました。 ③中世(鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代) ◆都市鎌倉の整備と横浜  治承・寿永の内乱を経て東国の支配権を固めた源頼朝は鎌倉に幕府を開き、都市の整備が進みました。執権北条氏は鎌倉市街地と外部とをつなぐ道(切通)や港湾の整備を行い、とりわけ鎌倉の東端にあたる六浦津(金沢区)と鎌倉を結ぶ朝夷奈切通(国指定史跡)は、関東内陸部や房総半島よりもたらされた物資を鎌倉へ運ぶ重要な交通路となりました。  鎌倉とその周辺地でみられる特徴的な墳墓「やぐら」は、鎌倉に近い六浦地区を中心に、六浦道や鎌倉街道などの当時の街道沿いに多く分布しています。 ◆海外文化の流入  中国大陸との交易が進む中、経典や陶磁器などの中国製品や様々な文化が鎌倉に伝来しました。執権北条氏の一族である金沢北条氏は、一族の菩提寺として称名寺を建立し、国内外の典籍や美術品など多くの貴重な品を納めました。これらは後に「金沢文庫」と呼ばれる一大コレクションとなり、国宝である「絹本著色北条実時像」、「称名寺聖教」といった絵画・典籍など、多くの文化財が現在に残されています。また人的交流も盛んに行われ、中国と日本の僧侶による学問の拠点としても発展しました。14世紀には伽藍や庭園の整備、瀬戸橋の架橋が行われ、金沢・六浦地域は鎌倉と一体的に発展し、最盛期を迎えました。 【22ページ】 ◆神奈川湊の発展と戦乱の世のはじまり  1333(元弘3)年の鎌倉幕府滅亡後、室町幕府下でも引き続き鎌倉は東国の政治の中心となり、称名寺が足利尊氏の祈祷寺としての地位を確立したほか、古東海道※9に面する神奈川湊が繁栄していきました。また、市域の耕地開発が進み、「武蔵国鶴見寺尾郷絵図」(国指定)には谷戸田を開いた百姓の名が記されています。この頃初めて「横浜村」の地名が文献資料に登場し始めました。  しかし鎌倉公方と室町幕府将軍や関東管領との対立で政治的緊張が高まり、鎌倉公方が鎌倉を離れると関東一帯で戦乱が続き、各地で城郭が築かれました。観応の擾乱を契機とする武蔵野合戦では、南朝方の新田義宗・義興軍が鎌倉を攻め、足利尊氏が「狩野川城」(神奈川城、後に権現山城)に逃れ、南朝方に味方した水野致秋が鶴見宿から関戸に向かって戦いに参加しました。 脚注※9 徳川幕府によって再整備される東海道以前の道を指し、鎌倉道(下道)に重なる。 ◆戦国大名・北条氏の支配  15世紀末、戦国大名北条氏が相模国に侵攻し、武蔵国・相模国を支配していた山内・扇谷両上杉氏との権現山の合戦(1510(永正7)年)を経て江戸城を奪取すると、広く関東一帯を支配しました。横浜市域は、北条氏のもとで小机城(港北区)と玉縄城(鎌倉市)の支城領に編成されました。 ④近世(江戸時代) ◆陸路と海路が交差する江戸の玄関口  豊臣秀吉の死後、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は江戸幕府を開き、豊臣氏を滅ぼした大坂の陣以降、長く泰平の時代となりました。  日本の政治・文化・経済の中心として繁栄した江戸は、人口100万人を超える世界最大の都市となりました。江戸から各地へと向かう街道も整備され、江戸と上方(京都・大坂)を結ぶ東海道は重要な幹線道路となり、横浜市域には神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿という3つの宿場が置かれました。江戸日本橋から約42㎞に位置する戸塚宿は、朝、江戸を発った当時の旅人の一番目の宿泊地として最適でした。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に出てくる弥次郎兵衛と喜多八も、初日に宿泊しています。また、矢倉沢往還、中原街道も整備され、東海道など幹線道路の脇街道としての役割を果たしました。  海路は、商業都市大坂と江戸を結ぶ太平洋海運が発展し、横浜市域の六浦・神奈川の湊が中世から引き続き重要な役割を果たしていました。湊であり宿場でもあった神奈川は、陸と海の交差点として多くの物や人が集散し、海を望む景勝の地としても栄えました。金沢もまた、金沢八景と称される景勝地として知られ、保土ケ谷で東海道から分岐する金沢道を通って人々が訪れました。 【23ページ】  宿場や湊には、江戸をはじめ各地から文化人が訪れ、狂歌師の太田南畝が神奈川宿の旅籠「羽沢屋」を詠んだ歌が残されています。宿場やその周辺に住む人々は、訪れた文化人と交流したり、地元での和歌会などの活動を活発に行ったりしました。こうした人々によって建立された芭蕉句碑や筆子塚などが、街道沿いを中心に多数残されています。 ◆江戸時代の市域の村々  横浜市域の村々の大半は、江戸幕府の直轄地と旗本知行所であり、陣屋を構えた大名は武州金沢藩(六浦藩)米倉氏のみでした。幕府直轄地を治める代官や知行所を治める旗本などの村の領主は江戸に居住し、村への命令や村からの届出・訴願は文書を介して行われていたことが、関家住宅(都筑区・国指定)や飯田家住宅(港北区・市指定)などに所蔵されていた文書からうかがわれます。村役人は、このような文書の作成とやり取り、年貢の納入などを行い、村の取りまとめと領主支配の末端を兼ねていました。 ◆海岸部の新田開発  江戸時代、横浜市域の新田開発が進みました。1656(明暦2)年から1667(寛文7)年にかけて、江戸の商人吉田勘兵衛によって入海が干拓されて開発された吉田新田が特に大きく、現在の市域にすると大岡川・中村川・JRに挟まれたエリアで、広さは約115万5,000㎡にもなりました。ほかにも、帷子川河口や金沢区の平潟湾・内川入江、吉田新田の地先の入海などが新田として開発され、いずれも近代以降は住宅地や繁華街として発展していきました。 【24ページ】 ⑤近代(明治期・大正期) ◆横浜開港  19世紀、産業革命を経た西欧諸国は海外に市場を求めて進出し、日本沿岸にも相次いで外国船が来航しました。江戸幕府は海岸部に台場(砲台)を築造して海防強化に努め、神奈川沿岸でも神奈川台場が築造されました。  1853(嘉永6)年にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀に来航し、最新鋭の軍艦を背景に開港を要求、翌年の再来航時の交渉により、横浜開港資料館敷地内に現存する「玉楠」のそばで、日米和親条約が締結されました。1858(安政5)年にアメリカと日米修好通商条約を結ぶと、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと同様の条約を結び、神奈川を含む5港の開港が決まりました。  神奈川は、対岸の「横浜村」が開港場と定められ、開港期日の1859年7月1日(安政6年6月2日)を目指し、開港場の建設が始まりました。開港場は運上所(税関)を中心に、東側(現在の山下町一帯)に外国人居留地、西側に日本人市街が建設され、商人を中心に国内外から集まった人々が住むようになりました。居留地の商業地区に各国の領事館や外国商館が建ちならび賑わう様子は、当時大量に製作された「横浜浮世絵」にみることができます。1867(慶応3)年には、山手地区が居留地に編入され、居留外国人の住宅地区として発展しました。居留地を通じて、衣食住の様々な分野で海外の生活文化がもたらされ、横浜を発祥とする多くの「もののはじめ」が誕生しました。 ◆開港場のまちづくり  開港当初の波止場は2本の平行な突堤でしたが、1866年10月(慶応2年9月)の大火の後、東側の突堤が防波堤の役割を果たすために「象の鼻」のように湾曲した形状となりました。1871(明治4)年に欧米諸国へ派遣された岩倉使節団も、この「象の鼻」から出港しました。「象の鼻」は、関東大震災で防波堤の大部分が沈んでしまったものの、2009(平成21)年の開港150周年事業で、明治20年代の形状に復元整備されています。  明治期に入り、居留地の整備は英人技師ブラントンに引き継がれました。防火性能を高めるため、ブラントンは居留地と日本人市街とを隔てる防火帯(現在の日本大通り)を設計し、大火で焼失した港崎遊郭の跡地に横浜公園を配しました。公園と港を日本大通りで結ぶことで、居留地と日本人市街のゾーニングはより明確なものとなり、現在の関内地区の骨格が完成しました。また、明治初年には、実業家高島嘉右衛門の活躍などにより、鉄道・街路・ガス灯・上下水道など近代的な都市インフラが導入されました。 【25ページ】 ◆港湾都市の基盤整備  横浜港は、明治10年代まで国内最大の輸出入総額を誇る港となり、輸出に関しては生糸をほぼ独占、輸入に関しては綿製品・毛織物・砂糖などの輸入拠点となりました。生糸貿易で財をなした実業家の一人である原富太郎(原三溪)は、古美術の収集や新鋭作家への支援をするとともに、京都や鎌倉などから移築した古建築を配置した日本庭園を三溪園として1906(明治39)年に開放し、横浜の美術・文化の発展に寄与しました。三溪園には、旧燈明寺三重塔・旧東慶寺仏殿・臨春閣などの国指定重要文化財10件や、鶴翔閣(旧原家住宅)などの横浜市指定有形文化財3件が現存しています。  1889(明治22)年4月、市制が施行され、横浜市が誕生しました。市域は約5.4k㎡、人口は約12万人でしたが、段階的な市域拡張により、面積・人口ともに増加していきました。横浜には、当時の在日外国人の約半数にあたる約5,000人が居住しており、横浜在住外国人人口の6割以上を占めた中国人により、現在まで続く中華街が形成されました。  明治20年代、英人技師パーマーの設計により、鉄製桟橋(現在の大さん橋国際客船ターミナル)と防波堤の建設を中心とした第一期築港工事が進められました。1891(明治24)年には横浜船渠株式会社が設立され、船舶を修繕するための石造の船渠(ドック)が築造されました。現在、第一号ドック(1898(明治31)年完成。現在、帆船日本丸が係留)、第二号ドック(1896(明治29)年完成。現在のドックヤードガーデン)が現存しています(国指定、市認定)。  続く第二期築港工事では、万トンクラスの船舶が接岸できる岸壁の建設が計画され、1914(大正3)年に新港埠頭(現在の赤レンガパーク一帯)が完成しました。埠頭内には鉄道の貨物線が引き込まれ、ハンマーヘッドクレーン(現在、ハン 【26ページ】 マーヘッドパークに所在)などを備えた近代的な港湾設備は、当時「東洋一」と呼ばれました。1909(明治42)年には、当時埋め立て工事が進んでいた新港埠頭で横浜開港50年祭が開催され、記念事業として開港記念横浜会館(現在の横浜市開港記念会館、国指定)が建設されました。 ◆関東大震災による壊滅  1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生し、マグニチュード7.9の激震と火災の発生により、開港以来の街並みは一日にして灰燼に帰しました。当時人口45万人だった横浜市では、35,000棟を超える家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者は26,000人を数えました。しかし、前述の開港記念横浜会館や、旧横浜正金銀行本店本館(国指定)のように、耐震技術が導入されていた煉瓦造建築の中には、大きな被害を受けながらも倒壊を免れ、現存するものもあります。 ⑥現代(昭和期以降) ◆震災復興と「大横浜」建設  関東大震災後、横浜市は政府による帝都復興事業の対象として、土地区画整理・街路整備・公園新設などからなる復興事業が進められ、現在につながる都市の骨格が形づくられました。関内地区では道路拡幅を中心とした土地区画整理が実施され、山下町の海岸部では、震災で生じた瓦礫を埋め立てて、1930(昭和5)年に山下公園(中区・国登録)が開園しました。野毛山では、実業家の原・茂木両家の別邸跡地をもとに、野毛山公園が新設されました。現在、横浜港周辺に残る歴史的建造物の多くは、この震災復興期に建設されたものです。  横浜の震災復興事業を軌道に乗せたのは、1925(大正14)年5月に横浜市長に就任した有吉忠一で 、1927(昭和2)年6月2日、復旧工事を終えた開港記念横浜会館で開催された「大横浜建設記念式」にて、横浜市が生糸貿易に依存していた体質を脱却し、本格的な工業都市へと発展するための方策として、「横浜港の拡充」、「臨海工業地帯の造成」、「市域拡張」の3つの柱からなる「大横浜」建設事業を宣言しました。 【27ページ】 ◆海と陸に広がる横浜  1927(昭和2)年、横浜港では外防波堤の建設工事とともに、子安から生麦にかけて地先の市営埋立事業が始動しました。1937(昭和12)年には外防波堤の築造及び市営埋立事業が完成し、日産自動車・日本電気工業などの新興企業が埋立地に進出、横浜港は従来の商業港としての機能に加え、工業港としての機能も合わせもつようになりました。他方で、1927(昭和2)年には、隣接する9町村を編入し(第3次市域拡張)、約3.6倍の市域となりました。1939(昭和14)年の第6次市域拡張を経て、周辺の郡部(橘樹郡・都筑郡・久良岐郡・鎌倉郡)を市域に取り込み、現在とほぼ同じ市域にまで広がりました。加えて、震災後の新しい交通計画の中で横浜駅が現在地に移転し、現在の東急電鉄・相模鉄道・京浜急行が乗り入れることで、横浜駅を中心とした放射線状の鉄道網が形成されました。鉄道会社は乗客誘致のために郊外部の沿線開発を進め、大規模遊園地として開園・拡張が進む花月園(鶴見区)や、沿線に点在する海水浴場・観光地への利便性を高めました。このように昭和戦前期を通じて、郊外部に住宅地や農村・工場が包含された複合的な広域都市として発展していきました。 ◆戦後の復興  1945(昭和20)年5月の大空襲で再び焼け野原となった市の中心部では、終戦後、焼け残った施設の多くが占領軍によって接収され、戦災復興は他都市と比べて大きく遅れました。1952(昭和27)年4月にサンフランシスコ講和条約が発効すると、ようやく接収解除が進み始めますが、土地区画を戦前の「原型」に復旧する方針から、復興はスムーズに進まず、柵で区画され草が生い茂った空き地が広がる景観は、「関内牧場」と呼ばれました。昭和30年代以降、「国際港都建設」をキーワードに、港湾施設の拡充と埋め立てによる臨海工業地帯の造成を大きな柱として、戦後横浜の都市づくりが進められました。1958(昭和33)年には、横浜開港100周年の記念事業が開催され、高度経済成長を迎えた横浜を盛り上げました。同年1月、記念事業の一つとして『横浜市史』の刊行がスタートし、翌1959(昭和34)年には、港町1丁目に村野藤吾氏の設計による7代目市庁舎が建設されました。 ◆あらたな都市づくりへ  戦後横浜の都市づくりを一層進めたのが、1963(昭和38)年に横浜市長に当選した飛鳥田一雄で、米軍施設の接収解除に精力的に取り組むとともに、1965(昭和40)年にあらたな都市づくりとして、都心部強化、金沢地先埋立、港北ニュータウン建設、高速鉄道建設、高速道路網建設、横浜港ベイブリッジ建設からなる「六大事業」の構想を発表します。六大事業は、互いに関連した都市整備事業により横浜の都市構造を将来的に強固にすることを目的に、庁内横断的に設置された企画調整室が中心となり実施されました。六大事業で実現された街並みは、現在も市民の暮らしを支えています。 【28ページ】 第2章 横浜市の文化財の概要  本市では、様々な制度に基づいて文化財を保存・活用しています。本章では、本計画で保存・活用の対象となる文化財の概要を、制度の枠組みの観点から整理します。 1節 文化財保護法・条例に基づく保護 ①指定等文化財 ◆指定等文化財とは  本市では、横浜市文化財保護条例に基づき、横浜の歴史、文化、自然を理解する上で重要なものを市指定文化財として指定し、保存・活用を図っています。また、同条例では本市独自の制度として、登録制度を設け、地域住民が守ってきた地域性を知る上で必要な文化財を広く顕彰し、所有者や地域住民が大切に保存・活用に努められるようにしています。市内には文化財保護法及び神奈川県文化財保護条例、横浜市文化財保護条例に基づく指定等文化財が、476件所在します[表2-1]。これまでの文化財調査が寺社を主な対象としていたため、社寺建築や社寺にある絵画・彫刻・工芸品等の指定・登録件数が多くなっています。 表2-1 指定等文化財総数(2023(令和5)年3月末現在) 類型、有形文化財、種別、建造物、一般建造物、国指定・選定17、県指定5、市指定31、国登録39、市登録1、計93。 類型、有形文化財、種別、建造物、石造建造物、国指定・選定0、県指定1、市指定6、国登録0、市登録2、計9。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、絵画、国指定・選定11(うち国宝1)、県指定14、市指定18、国登録0、市登録0、計43。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、彫刻、国指定・選定9、県指定15、市指定36、国登録0、市登録0、計60。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、工芸品、国指定・選定17、県指定15、市指定12、国登録0、市登録0、計44。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、書籍・典籍、国指定・選定17(うち国宝2)、県指定2、市指定11、国登録0、市登録0、計30。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、古文書、国指定・選定2、県指定2、市指定7、国登録0、市登録0、計11。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、考古資料、国指定・選定1、県指定9、市指定7、国登録0、市登録1、計18。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、歴史資料、国指定・選定5、県指定0、市指定6、国登録0、市登録4、計15。 類型、無形文化財、種別(演劇・音楽・工芸技術等)、国指定・選定1、県指定0、市指定0、国登録0、市登録0、計1。 類型、民俗文化財、種別、有形の民族文化財、国指定・選定0、県指定2、市指定6、国登録0、市登録13、計21。 類型、民俗文化財、種別、無形の民族文化財、国指定・選定0、県指定4、市指定9、国登録0、市登録3、計16。 類型、記念物、種別、遺跡(史跡)、国指定・選定5、県指定3、市指定7、国登録0、市登録75、計90。 類型、記念物、種別、名勝地(名勝)、国指定・選定2、県指定0、市指定1、国登録3、市登録0、計6。 類型、記念物、種別、動物・植物・地質鉱物(天然記念物)、国指定・選定1、県指定6、市指定12、国登録0、市登録0、計19。 類型・種別、文化的景観、国指定・選定0、計0。 類型・種別、伝統的建造物群、国指定・選定0、計0。 計、国指定・選定88(うち国宝3)。計、県指定78。計、市指定169。計、国登録、42。計、市登録99。合計476。 脚注※10()は内数で国宝。 脚注※11 無形文化財の国指定・選定の数は保持者。 【29ページ】 ◆本市に所在する指定等文化財の特徴 有形文化財  有形文化財は、本市の指定等文化財の約7割となる323件が所在しています。種別では一般建造物が最も多く、旧横浜正金銀行本店本館、横浜市開港記念会館、神奈川県庁舎等、明治期以降の近代の建造物が多数を占めていること、三溪園や總持寺に集中していることが特徴です。また、関家住宅は、関東地方で現存する最古級の民家といわれ、国指定重要文化財となっています。  主要な街道の周辺や鎌倉に近接する地域の寺社に多くの絵画、彫刻、書跡・典籍等が残されており、鉈彫りが特徴的な弘明寺の十一面観音立像(国指定)や、金沢北条氏一門の菩提寺である称名寺に伝わる絹本著色北条実時像ほか3幅(国宝)などが挙げられます。考古資料では、埴輪の出土が注目された北門1号墳出土遺物一括(市指定)、花見山遺跡縄文時代草創期出土品一括(市指定)などがあります。また、開港の地横浜の歴史を伝える文化財として、地蔵王菩薩坐像や地蔵王廟(いずれも市指定)があるほか、船の修繕用に建設された旧横浜船渠株式会社第一号船渠、旧横浜船渠株式会社第二号船渠、海上に係留されている船、氷川丸と日本丸(いずれも国指定重要文化財)は、港横浜の景観を象徴する存在です。 無形文化財  本市の無形文化財は1件で、国重要無形文化財「能シテ方」の保持者(いわゆる「人間国宝」)が該当します。 民俗文化財  民俗文化財は37件で、そのうち市の指定・登録が31件とほとんどを占めています。有形の民俗文化財は、荏田宿まねき看板(市指定)や金沢横町道標四基(市登録)など、街道に関するもののほか、浦島太郎伝説関係資料(市登録)のように地域にゆかりのあるものがあります。  無形の民俗文化財は、「お馬流し」(県指定)、「祇園舟」(市指定)など海岸部に伝承される漁民の厄霊疫神放流の行事、「蛇も蚊も」のような悪疫放逐や豊作を祈念する行事があります。また、「牛込の獅子舞」、「鉄の獅子舞」(いずれも県指定)などの芸能、地蔵を順次、家から家へと送る行事「鶴見川流域の廻り地蔵」、「下飯田の廻り地蔵」(いずれも市指定)などが現在に伝えられ、各地域で行われています。 記念物  記念物は、115件所在しており、そのうち遺跡(史跡)は90件と種別では2番目に多くなっています。国指定は称名寺境内、三殿台遺跡、朝夷奈切通、大塚・歳勝土遺跡、旧横浜正金銀行本店、県指定は市ケ尾横穴古墳群、稲荷前古墳群等、市指定は綱島古墳、茅ケ崎城址等、現在も訪れることができる場所が多くあります。また、遺跡(史跡)のうち、8割以上が市登録文化財(75件)となっており、生麦事件碑、旗本笠原家の墓所、日本最初の洋式公園(山手公園)など、様々な種類の旧跡等から、本市の地域性を知ることができます。名勝地(名勝)は三溪園、山下公園など、いずれも近代以降のものです。天然記念物は、動物が2件、植物が16件(樹木5件、樹叢11件)、地質鉱物が1件あり、ミヤコタナゴは、市内で唯一の国指定天然記念物です。 【30ページ】 ◆指定等文化財の分布  指定等文化財は市内の広範囲に所在しています。現存する史跡は市北部に多く、大塚・歳勝土遺跡(都筑区)、市ケ尾横穴古墳群や稲荷前古墳群(いずれも青葉区)、綱島古墳(港北区)等があります。美術工芸品は称名寺や六浦津が所在する金沢区がある市南部に集中しており、絹本墨画淡彩十六羅漢像(国指定)等の絵画、厨子入金属製愛染明王坐像(国指定)等の彫刻、銅鐘(国指定)等の工芸品があります。開港後の近代建造物は市東部に集中しています。 【31ページ】 ②埋蔵文化財 ◆埋蔵文化財とは  埋蔵文化財は「土地に埋蔵されている文化財」(文化財保護法第92条)とされ、一般的には「遺跡」として認識されているものです。文字のない時代はもとより、中世や近代においても、文献資料や伝承では捉えられない昔の生活や文化を復元するための貴重な手がかりとなります。  埋蔵文化財を分類すると、土地に構築された建物等の跡である「遺構」と、当時使用していた土器や石器などの「遺物」に分けられます。  「遺物が散布している」、「遺構が目視で確認できる」、「埋蔵文化財の存在が伝承等で伝えられている」等の情報を総合し、埋蔵文化財が存在する可能性が高い範囲として地図上(33ページ参照)に示したものを、「周知の埋蔵文化財包蔵地」(以下、「遺跡」と言う。)といいます。 ◆本市に所在する埋蔵文化財の特徴  本市は市域の広さや地形の特性などから、区ごとに遺跡の分布範囲や時代・種類に特徴がみられます。 鶴見区(遺跡数:111か所) 鶴見川右岸の台地上に遺跡が集中しています。二本木貝塚等、主に区域中央部から南西部にかけて縄文時代の貝塚の遺跡が多くみられます。また、区域中央部の台地には中世の城跡である寺尾城跡が所在します。 神奈川区(遺跡数:76か所) 台地状の丘陵が広がっており、海面が高かった縄文時代には多くの集落が存在しました。生活の痕跡である貝塚を伴う遺跡が多く、三ツ沢貝塚が代表的です。 西区(遺跡数:15か所) 北の帷子川と南の大岡川に挟まれた台地上に、縄文・弥生時代を中心とする遺跡が分布しています。これまでに、区域南部の紅葉ケ丘遺跡の発掘調査や、区域北部の古墳時代の横穴墓群や前方後円墳の調査等が行われました。 中区(遺跡数:34か所) 遺跡が沿岸部に多く、元町貝塚等の貝塚が所在している一方で、明治~大正時代の外国人居留地に関わる遺跡も多くみられます。近年調査された例として、山下居留地遺跡や洲干島遺跡が挙げられます。 南区(遺跡数:45か所) 市域中央部に区画され、中心部は東西に低地が広がります。北部と南部は低地と並行するように台地がのびており、台地上に遺跡が分布しています。縄文時代の遺跡が多く把握されていますが、一部発掘調査が実施された山谷稲荷山貝塚は、縄文時代後期に位置付けられる重要な貝塚で、出土品も良好なものが多いです。また、瑞鷹山蓮華院と号する古刹弘明寺の古代にさかのぼる遺構・遺物も重要です。 港南区(遺跡数:134か所) 西部の丘陵に遺跡が多く、弥生時代の環濠集落がある殿屋敷遺跡が代表的です。東部の笹下川左岸には縄文時代の雑色杉本遺跡などがあります。 保土ケ谷区(遺跡数:90か所) 帷子川両岸の台地に遺跡が多く、縄文~平安時代の仏向町遺跡が代表的です。戸塚区との区境付近にも遺跡が点在しており、入ノ谷遺跡などが所在します。 旭区(遺跡数:157か所) 帷子川両岸の台地部に遺跡が多くみられます。帷子川源流域にあたる区域西部では縄文~古墳時代の笹峰遺跡、中流域にあたる区域東部では縄文~平安時代の市ノ沢団地遺跡等が所在します。 【32ページ】 磯子区(遺跡数:59か所) 海岸線に沿って南北に伸びる丘陵に縄文時代の遺跡、急峻な斜面に横穴墓、東京湾に臨む低地部に古墳が所在しています。三殿台遺跡は、丘陵頂上部という住環境に最適な選地から、時代を越えて集落が営まれていたことが確認されています。 金沢区(遺跡数:68か所) 区域北部から西部にかけて広がる台地に多くの遺跡が分布しています。沿岸部には縄文時代の標識遺跡である称名寺貝塚が所在し、起伏に富んだ地域では上行寺東遺跡のような崖を利用した鎌倉~室町時代の「やぐら」が多く所在します。 港北区(遺跡数:251か所) 鶴見川両岸及び早淵川両岸の台地に遺跡が多く所在するほか、矢上川右岸の台地の一部にも点在しています。鶴見川流域には、代表的な中世城郭の小机城跡が所在するほか、右岸の台地に縄文時代の篠原大原遺跡等が確認されています。 緑区(遺跡数:148か所) 青葉区・都筑区との区界を流れる恩田川右岸、鶴見川右岸の台地上、鶴見川支流の岩川や梅田川両岸に遺跡が所在します。町田市との市境には、縄文~弥生時代のなすな原遺跡が所在するほか、恩田川右岸台地上には、北門古墳群が所在します。 青葉区(遺跡数:358か所) 遺跡は、区界にあたる恩田川左岸沿い、鶴見川両岸の台地縁辺部に多く所在するほか、鶴見川と早淵川に挟まれた台地上にも点在します。鶴見川左岸台地上には、主に縄文~古墳時代の赤田遺跡群や関耕地遺跡、恩田川左岸には、稲ケ原遺跡などが所在します。 都筑区(遺跡数:431か所) 鶴見川と早淵川に挟まれた台地上、早淵川左岸の台地上に数多く遺跡が所在します。港北ニュータウンの大規模な開発に際して、大塚遺跡等の多くの遺跡の調査が行われ、鶴見川左岸の台地上には、縄文~平安時代の藪根不動原遺跡、主に弥生時代の折本西原遺跡などが所在しています。また、早淵川右岸の台地上には、矢崎山西遺跡などが所在します。 戸塚区(遺跡数:194か所) 中心部は南北に低地が広がり、低地の東部には丘陵、西部には台地がのび、地形を縫うように東海道が縦走しています。丘陵及び台地上に、縄文・弥生・古墳の各時代の遺跡が多く把握されています。上矢部富士山古墳は、多くの形象埴輪が出土している重要な古墳です。 栄区(遺跡数:112か所) 中心部は東西に低地が広がり、北部には丘陵、南部には急峻な丘陵塊がのびています。丘陵上及び斜面に、縄文・弥生・古墳の各時代の遺跡が多く把握されています。上郷深田遺跡は神奈川県内唯一の製鉄遺跡であり、律令制下の鉄の流れ(=政治、まつりごとの流れ)を知り得る重要な遺跡です。 泉区(遺跡数:78か所) 区域の中央を縦断する和泉川と、藤沢市との市境である境川の流域に遺跡が集中して分布しています。縄文時代から中世にかけての様々な時代の遺跡が分布し、縄文時代の竪穴住居跡が集中して見つかった泉警察遺跡の例もあります。 瀬谷区(遺跡数:56か所) 東部から西部にかけて河岸段丘となっており、南北に長い台地上に、主に縄文・古墳の各時代の遺跡が多く把握されています。阿久和宮腰遺跡は、縄文時代中期の大規模な集落跡であり、この時代の景観や営みを考察する上で重要な遺跡です。 【33ページ】 ◆埋蔵文化財の分布  本市では現在、2,417か所(2022(令和4)年4月現在)という多くの遺跡が市域にわたり把握・周知されています。特に、ニュータウン建設時に多くの発掘調査が行われた都筑区には、400か所以上の遺跡が所在しています。 ③文化財の保存技術 ◆文化財の保存技術とは  文化財保護法では、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能である「文化財の保存技術」のうち、保存の措置を講ずる必要のあるものを「選定保存技術」として選定し、その保持者や保存団体を認定する制度を設けています。この制度は、文化財を支え、その存続を左右する重要な技術を保護することを目的としており、技術者の確保のための伝承者養成とともに、技術の向上、技術の記録作成などを行うものです。  横浜市文化財保護条例では、市の区域内に存する伝統的な技術又は技能で文化財の保存のために欠くことのできないもののうち、市として保存の措置を講ずる必要があるものを「横浜市選定保存技術」として選定することができます。 ◆本市に所在する文化財の保存技術  市内には、国の選定保存技術「甲冑修理」の保持者が1名います。 【34ページ】 2節 その他の制度による保護 ①歴史を生かしたまちづくり要綱 ◆歴史を生かしたまちづくり要綱とは  本市では、横浜市文化財保護条例と同時に施行した「歴史を生かしたまちづくり要綱」を運用し、文化財行政とまちづくり行政の両輪で歴史的建造物の保全活用を推進しています。  本要綱は、維持の困難さや床の低未利用等による歴史的建造物の滅失や、横浜の歴史的建造物の一部である西洋館や近代建築が文化財的価値を認められづらかった等の背景を受け、1988(昭和63)年に制定されました。建造物の凍結的な保存ではなく、外観を保全の対象とし、内部は積極的な活用を目指すことで柔軟な保全活用を可能とするように制度設計されています。  本要綱では、歴史的建造物の登録・認定、歴史的景観地区の指定、助成制度、歴史的景観保全委員について定めています。この運用として、専門家の調査により価値が高いとされた建造物を「登録」し、中でもさらに価値があると判断されたものを所有者による同意を得た上で「認定」しています。歴史的建造物の認定にあたっては、「歴史的景観保全委員」へ意見聴取を行い、所有者とともに建造物の保全すべき部位や方向性等をまとめて「保全活用計画」を定めています。認定された場合、保全のための改修等に必要な費用の一部について、市の助成を受けることが可能です。  1997(平成9)年に耐震改修助成制度の新設、2015(平成27)年に特定景観形成歴史的建造物制度への対応、2016(平成28)年にリノベーション助成制度の新設、2018(平成30)年に歴史的建造物の「評価の考え方」明記など、時代の情勢に併せて改正を行っています。 ◆登録・認定歴史的建造物  2023(令和5)年3月末現在で、登録歴史的建造物は209件、認定歴史的建造物は100件です。赤レンガ倉庫やクイーンの塔として知られる横浜税関本関庁舎、ホテルニューグランド本館といった近代建築、エリスマン邸や山手133番館のような西洋館、木村家住宅主屋(旧円通寺客殿)や旧金子家住宅主屋などの古民家、第二代目横浜駅駅舎基礎遺構や護岸、橋梁などの土木遺産など、幅広い建造物が対象となっています。  なお、認定歴史的建造物は、指定等文化財や未指定文化財を一部含んでいます。 表2-2 「歴史を生かしたまちづくり要綱」に基づく歴史的建造物件数(2023(令和5)年3月末現在)※12 分類、認定件数、社寺0、古民家14、近代建築32、西洋館23、近代和風2、土木遺構29、合計100。 分類、登録件数、社寺23、古民家29、近代建築55、西洋館39、近代和風6、土木遺構57、合計209。 脚注※12 認定件数には、指定等文化財3件(国指定有形文化財(建造物)1件、市指定有形文化財(建造物)1件、市登録記念物(史跡)1件)を含む。 ② 無形民俗文化財保護団体の保護育成 ◆無形民俗文化財保護団体とは  本市では、「横浜市無形民俗文化財保護団体育成要領」を運用し、地域に結び付きのある民俗芸能を継承し、後継者の育成等に保存継承に熱意のある市内の無形民俗文化財保護団体を「認定団体」と選定し、団体の保護育成に取り組んでいます。 【35ページ】 無形民俗文化財保護団体の特徴  無形民俗文化財保護団体の認定にあたっては、前年度の団体の活動状況等をふまえ、毎年度選考を行っています。2022(令和4)年度の認定団体は73団体で、そのうち「祭囃子」を継承する団体が52団体と最も多くなっています。 表2-3 【参考】横浜市無形民俗文化財保護団体が継承する民俗芸能の内訳(2022(令和4)年度) 祭囃子52、念仏芸7、古民謡6、折年3、神楽3、雅楽1、太鼓芸1、総計73。表2-3は以上。 3節 未指定文化財 ◆未指定文化財とは  存在が把握・整理されている文化財の中には、指定・登録等がされていないものもあります。本計画では、それらを総称して「未指定文化財」としています。  なお、存在は把握されているものの、文化財として整理されていないものや、今後、調査等により存在が把握・整理されていくものもあります。 ◆本市に所在する未指定文化財の特徴  本市では、1984(昭和59)年に設立された横浜市文化財総合調査会により、市域の文化財の悉皆調査が進められ、現在は横浜市文化財保護審議会の各部会を中心に調査が行われています。調査の結果、把握・整理された未指定文化財は16,696件あります。 表2-4 未指定文化財(2022(令和4)年3月末現在) 類型、有形文化財、種別、建造物、一般建造物、計95。 類型、有形文化財、種別、石造建造物、計1,962。 類型、有形文化財、美術工芸品、絵画、計801。 類型、有形文化財、美術工芸品、彫刻、計2,010。 類型、有形文化財、美術工芸品、工芸品、計226。 類型、有形文化財、美術工芸品、書跡・典籍、計2,641。 類型、有形文化財、美術工芸品、古文書、計8,606。 類型、有形文化財、美術工芸品、考古資料、計23。 類型、有形文化財、美術工芸品、歴史資料、計0。 類型、無形文化財、(演劇・音楽・工芸技術等)、計0。 類型、民俗文化財、有形の民俗文化財、計186。 類型、民俗文化財、無形の民俗文化財、計93。 類型、記念物、遺跡(史跡)、計33。 類型、記念物、名勝地(名勝)、計1。 類型、記念物、動物・植物・地質鉱物(天然記念物)、計0。 類型、種別、文化的景観、計0。 類型、種別、伝統的建造物群、計0。 類型、種別、その他、計19。 合計16,696。 ●有形文化財  未指定文化財のうち、最も多いのが有形文化財で、全体のほとんどを占めます。特に、これまでの調査が寺社を主な対象としていたことから、石碑や石塔等の石造建造物、彫刻、書跡・典籍、古文書の件数が多くなっています。 ●民俗文化財  有形の民俗文化財は、寺社で所蔵している奉納絵馬や、行事で使用される用具が多くを占めています。無形の民俗文化財は、寺社や地域で行われている民俗芸能や行事があり、中でも祭囃子が多くなっています。 ●記念物  記念物のうち、史跡がほとんどを占めています。中でも、鎌倉とその周辺でみられる墳墓「やぐら」が多くなっています。 ●その他  現時点では、文化財保護法に基づく6類型に分類できていないものをその他に分類しています。主に、寺社にある棟札や板碑などがあげられます。 【36ページ】 第3章 横浜市の歴史文化の特徴  本市には、先史時代から現代に至るまで脈々と受け継がれてきた文化財が、市域にわたり 残されています。時代とともに積み重なり、変化しながら現代に至っている多層的な横浜 市の歴史文化の特徴を、5つに分類・整理しました。 1節 海と川とともに暮らした先史から古代の人々  約3万年前の旧石器時代の遺跡は市域西側に点在し、その後の狩猟採集生活の痕跡が、鶴見川流域を中心とした東側へと広がります。 恩田川から谷本川を臨む段丘面上には縄文時代草創期の遺跡が集中しており、有舌尖頭器などの旧石器~縄文時代の過渡的な石器群に加えて、新たに土器の使用がみられます。温暖化により海水面が上昇した縄文時代前期には、海浜部や河川流域に貝塚や墓域を伴う定型的な集落が形成されました。縄文時代中期は市域全体で遺跡数が激増し、その中には大規模な環状集落も含まれます。しかし、縄文時代後期に入ると寒冷化もあり、集落の規模や数が縮減していきます。  稲作が普及した弥生時代は、河川流域の低地が水稲耕作の舞台になり、それらを臨む台地上に環濠集落等が形成されました。横浜市域には、弥生時代中期に東海地方から稲作が伝播し、弥生時代後期には長野-群馬系の人々が市域北西部(鶴見川上流域)に移住・定着していました。  古墳時代は、河川流域の地域社会単位で古墳群が築かれました。特に広大な沖積地を擁する多摩川・鶴見川両下流域の日吉地域(後の武蔵国荏原郡の一部)には、南武蔵を統括する大首長の前方後円墳が築かれました。その他、鶴見川上流域は武蔵国都筑郡、大岡川流域は武蔵国久良郡、唯一、相模湾側に流れる柏尾川流域は相模国鎌倉郡に属することになるなど、稲作農耕社会成立後、河川流域ごとに地域社会が成立・発展していきました。 2節 鎌倉文化の広がり、戦乱と地域の再編成 【37ページ】  中世における横浜市域の歴史は、①都市鎌倉の影響を受けた時期と、②戦乱が頻発する中で戦国大名権力により地域が再編成される時期の2つに分けられます。  ①の時期では幕府が置かれた鎌倉に近接する市域に幕府直轄領や御家人領、鶴岡八幡宮領等が増え、證菩提寺や光明寺等、鎌倉時代の仏像を伝える寺院が多く創られました。特に鎌倉の外湊として発展した六浦津(金沢区)には鎌倉時代の寺社が多く、中でも金沢北条氏の菩提寺である称名寺は学問の拠点となり、国内外より多くの僧侶が訪れて、様々な書物・文物が金沢文庫に集められました。  一方②の時期では、15世紀半ばに鎌倉公方が下総国古河に拠点を移したことで関東に戦 乱が広がり、市域には茅ケ崎城(都筑区)や長尾砦(栄区)等多くの城や砦が造られました。やがて、小田原北条氏のもとで、市域は小机城(港北区)や玉縄城(鎌倉市)といった支城を中心とした支配体制の下に治められていきました。  その後、関東を貫く東海道が主要な道となり、街道に面した神奈川湊が繁栄しました。また、この時期には雲松院や泉谷寺(ともに港北区)等の武士層とつながる禅宗系寺院が多く創られ、かつての村々には戦国時代の人々の様子を示す古文書が残されています。 3節 陸路と海路が交差する江戸の玄関口  江戸時代の横浜は、幕府が置かれた江戸と政治・経済面で密接につながっており、吉田新田を開発した吉田勘兵衛も、江戸の材木商でした。  横浜には江戸と上方を結ぶ大動脈の東海道が通り、神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿の3つの宿場が置かれました。また、東海道の脇街道の中原往還と矢倉沢往還が通い、これらの街道を結ぶ様々な道が網の目のように通っていました。  海路では、海の関所・浦賀に近い金沢に、武州金沢藩米倉氏の陣屋が置かれました。神奈川宿から保土ケ谷宿にかけて広がる神奈川湊は中世から続く湊であり、江戸時代には西日本や東北各地から多くの商船が出入りし、物資の集散地となりました。  陸路の神奈川宿、海路の神奈川湊、さらに東海道から分岐する神奈川道(八王子道)等が集まる陸上交通・海上交通の結節点として、周辺地域の経済・文化の中心となりました。この地域構造と繁栄が、幕末期の開港場・横浜の基礎となりました。  18世紀後半には、庶民の旅が盛んになり、市域では金沢八景が景勝地として知られ、東海道などを経由して多くの人々が訪れました。矢倉沢往還は大山道として知られ、大山参詣の人々で賑わいました。また、富士山の信仰も盛んになり、市内の各所に富士塚がつくられました。 【38ページ】 4節 開港に始まる国際性と近代性  幕末の開港を契機に、国際貿易都市として歩み始めた横浜には、国内外から多くの人々が移り住みました。外国人居留地には欧米諸国や中国の人々が進出し、様々な外国系の技術や文化が伝来しました。山下居留地には貿易の拠点となる各国商館が建ちならび、山手居留地には、居留外国人のコミュニティを支える教会・学校・病院・墓地・公園等が整備されました。港湾や鉄道・街路等の交通インフラ、ガス・上下水道等の生活インフラの整備に近代的な技術が導入され、煉瓦やジェラール瓦等西洋伝来の材料を用いた洋風建築が建設されました。また地蔵王廟(市指定文化財)にみられる中国系の建築・工芸技術も伝わり、横浜は移住者によって大きな発展を遂げました。  また、海外文化の窓口となった横浜からは、洋画・音楽・演劇等の芸術、競馬・ボート・テニス等のスポーツ、西洋料理・ビール等の食文化が、国内へと広がっていきました。横浜港は、国内外の人・もの・情報が行き交う日本の玄関口でした。特に、明治期の主要な輸出品であった生糸は、横浜発展の大きな原動力となり、周辺部でも養蚕や製糸が盛んに行われ、生糸貿易で財をなした実業家たちは、横浜の政治・経済・文化の各方面で影響力をもつようになりました。  横浜からは、日本各地の風景や風俗を写した「横浜写真」が海外への土産物として好評を博し、芝山漆器や眞葛焼のように、在来の技術と西洋の文化が融合した横浜独自の工芸品が海外に輸出されました。多様なルーツを持つ人々が織り成す国際性と近代性に富む点が、横浜の歴史文化の特徴の一つです。 【39ページ】 5節 谷戸や海辺で営まれた暮らし  市域の人々の暮らしは、その土地の自然環境と密接に結びついてきました。内陸部には、多摩丘陵や相模野台地に源流をもつ鶴見川や帷子川、大岡川や柏尾川等の河川が流れ、各流域には谷戸と呼ばれる複雑に入り組む谷筋が数多くありました。人々は谷戸の微高地に屋敷を構え、谷筋の低地を田んぼに、丘陵上の平地や緩斜面には畑や共同の茅場を拓き、里山では筍を栽培し、雑木林から薪や炭を得たほか、養蚕や養畜、天然製氷等、様々な生産活動を組み合わせて暮らしを営んできました。  東京湾に面した沿岸部は漁業が中心となり、豊かな東京湾の恵みが海辺の人々の暮らしを支えていました。遠浅の海では地引き網をはじめ、貝を取る捲籠漁や海苔の養殖が行われ、沖合では帆をいっぱいに膨らませた打瀬船による打瀬網漁をはじめ、巻網漁や延縄漁も盛んでした。  自然とともに暮らしていた人々は、豊作や大漁、大雨・日照り・大風といった厄災避けを神や仏に願い、横浜市域の里や海で、様々な祈りを込めた行事や祭礼を行いました。また信仰や相互扶助のために「講」が組織され、定期的に寄り合って念仏を唱えたり、地域の共同作業や葬儀の手伝い等を行ったりしました。  高度経済成長期以降の開発や埋め立て、生活様式の変容によって、谷戸や海辺で営まれた暮らしは大きく変わりました。しかしその姿は、多くの市民や地域の理解・協力によって伝えられてきた民家や石造物、祭礼や芸能といった様々な有形・無形の文化財、田園や谷戸といった景観等を通じて現在でも垣間見ることができます。 【40ページ】 第4章 文化財の保存・活用の方向性と本計画で目指す姿  文化財は、これまでの長い歴史の中で、生まれ、育まれ、今に伝えられてきた市民共有の財産です。また、日本や地域の歴史文化を正しく理解するために欠くことができないものであり、将来の文化の向上発展の基礎となります。  本章では、横浜の歴史文化を次世代に継承していくため、文化財の保存・活用の基本的な考え方と方向性、本計画を進める際の「目指す姿」を設定し、目指す姿の実現に向けた課題を整理します。 1節 文化財の保存・活用の方向性 ①「保存」と「活用」の基本的な考え方  文化財保護法では、その目的を「文化財を保存し,且つ,その活用を図り,もつて国民の文化的向上に資するとともに,世界文化の進歩に貢献すること」(第1条)と規定しており、保存と活用はともに文化財保護を図る上での重要な柱です。  文化財は、損傷や改変により価値を喪失しやすく、一度失われた価値を取り戻すことは非常に困難であるため、文化財の種類・性質についての正しい認識のもとに、適切な取扱いが必要である一方で、社会の中で適切に活用されることでその継承が図られる文化財もあり、文化財の「保存」と「活用」は、ともに、次世代に継承するために必要なものです。 ②「保存」と「活用」の方向性  本市には、多種多様な文化財が市域にわたり所在しており、それぞれの価値に応じて適切に保存するとともに、その特性に応じた活用を進め、「保存」と「活用」の均衡を図りながら、取組を進めていきます。  また、「適切に保存し継承されていることで展示や公開等の活用ができる」、「活用を通じて認知度が高まることで、文化財への理解が深まり、参画者が増え、引き続き保存し継承される」といったように、「保存」と「活用」の循環を実現していきます。  取組にあたっては、文化財の所有者をはじめ、市民、関係団体、民間企業等がともに課題を共有しながら連携して取り組むとともに、文化財を通じた学びや体験する機会の創出、地域への愛着醸成、新たなまちの魅力の発見、良好な景観形成などの効果を生み出しながら、文化財の保存と活用の取組を持続的に行っていきます。 【41ページ】 2節 本計画で目指す3つの姿  本計画では、「まもる」、「いかす」、「つながる」の3つの姿を共有しながら取組を進め、多様な主体がともに連携しながら、横浜の歴史文化を次世代に継承していきます。  「まもる」は、横浜の歴史文化が市民に受け継がれ、大切に守られている姿、「いかす」は、多様な主体により、様々な視点で文化財が生かされている姿、「つながる」は、文化財を核として、多様なコミュニティやつながりが生まれている姿とします。 【42ページ】 3節 文化財の保存・活用に関するこれまでの取組 ①調査に関する取組 ◆文化財調査  横浜市における文化財調査は、市内有識者を中心に構成された「横浜市文化財研究調査会」(1962(昭和37)年設立)による調査が始まりです。調査範囲は寺院・神社、旧家所蔵の文書から庚申塔まで幅広く、その成果は、『横浜市文化財調査報告書』として刊行されました。  1969(昭和44)年に、文化財保護措置要綱が施行され、横浜市教育委員会社会教育課に文化財係が新設された後、1975(昭和50)年に結成された「横浜市文化財現況調査団」は、市内に所在する文化財の現況把握のための総合調査を行い、その成果を、『横浜の文化財-横浜市文化財綜合調査概報-』(1977(昭和52)年初刊。一巻~五巻)として刊行しました。  その後、1984(昭和59)年に、「横浜市文化財研究調査会」と「横浜市文化財現況調査団」が統合し、「横浜市文化財総合調査会」による調査が継続して行われますが、市域の悉皆調査が概ね完了したことから、活動を終了しました。現在は、横浜市文化財保護審議会を中心とした調査・研究が行われ、その成果を『横浜の文化財-横浜市文化財調査概報-』として刊行しています。また、市内に所在する文化財の現状や管理状況を把握するため、「横浜市文化財巡回調査」も実施しています。  その他、民俗、近代建築や土木遺産、民家等の分野別の調査も行われており、それらの調査は、文化財保護業務を所管する本市教育委員会事務局生涯学習文化財課のみならず、歴史を生かしたまちづくりを所管する都市整備局都市デザイン室や、横浜市歴史的資産調査会等の関係団体によっても行われています。 【資料編5】既存調査一覧 ◆埋蔵文化財調査  埋蔵文化財の調査は、大きく「学術調査」と「記録保存調査」または「緊急調査」に分けられます。  学術調査は、学術的な研究や遺跡の活用を第一の目的として、考古学的な資料の充実を図ることを目的としたものです。一方、記録保存調査または緊急調査は、土木工事等を前提としたもので、工事等により埋蔵文化財が破壊されるために、その工事着手前に最低限記録保存だけでも行うものです。  全国的にも、埋蔵文化財の調査は、記録保存調査が大半を占め、本市においても同様の傾向です。  明治30年代に発見され、「屏風ヶ浦岡村貝塚」の名称で注目されていた三殿台遺跡では、その後、隣接する市立岡村小学校の校地拡張予定地となったため、1961(昭和36)年に、多くの研究者や中・高・大学生、市民ら延べ5,000人が参加して、遺跡全体の発掘調査が行われました。調査の結果、縄文・弥生・古墳時代の大岡川流域のムラの様子や生活がわかる重要な遺跡 【43ページ】 として、1966(昭和41)年に国指定史跡となり、翌年には三殿台考古館が開館し、遺跡とともに公開されています。  また、港北ニュータウンの造成工事の本格化に伴い、1970(昭和45)年に、「港北ニュータウン埋蔵文化財調査団」を結成し、発掘調査を実施しました。約20年に及ぶ調査となり、縄文時代の三の丸遺跡や弥生時代の大塚・歳勝土遺跡をはじめとする遺跡が明らかになるとともに、大塚・歳勝土遺跡は可能な限りの範囲で現状保存され、1986(昭和61)年に国の史跡に指定されました。  これらの調査の進展とともに、市民から考古資料館及び歴史博物館設立の要望が高まり、1995(平成7)年に「横浜市歴史博物館」を開館しました。  現在、埋蔵文化財発掘の届出及び通知の件数は、年間1,215件(2021(令和3)年度)にのぼり、届出者との協議等により埋蔵文化財の保存に努めていますが、工事等によって埋蔵文化財の破壊が免れない場合には、工事主体者の理解と協力のもと、発掘調査による記録保存を行っています。これらの調査成果は、発掘調査報告書として刊行されています。 ◆市史編纂事業  本市では、1954(昭和29)年に横浜開港100年を記念して、第一期『横浜市史』の編集に取り組みました。原始・古代~関東大震災の復興期(昭和初期)までを対象とし、編集に際し収集した資料を公開する施設として、1981(昭和56)年に「横浜開港資料館」を開館しました。  1985(昭和60)年には、市政100周年・開港130周年を記念して、第二期『横浜市史』の編集に取り組みました。昭和初期~高度成長期までを対象とし、収集した資料は、横浜市史資料室が所蔵する横浜市の歴史的公文書とともに、市民の利用に供しています。 ②制度による保護の取組 ◆無形民俗文化財保護団体の育成(1977(昭和52)年~)  本市では、文化財保護条例が制定される前の1977(昭和52)年から、市内に伝わる民俗芸能のうち、地域に結び付いた特色のある民俗芸能を選び、これらの保存団体を育成する事業を進めてきました。  現在、横浜市無形民俗文化財保護団体育成要領に基づき、地域に結び付きのある民俗芸能を継承し、後継者育成等の保存継承に熱意のある市内の無形民俗文化財保護団体を「認定団体」に選定し、保存継承に必要な経費の一部補助等を行っています。 【44ページ】 ◆横浜市文化財保護条例と歴史を生かしたまちづくり要綱(1988(昭和63)年~)  本市では、横浜市文化財保護条例と歴史を生かしたまちづくり要綱を同日施行し、文化財としての「保護(保存・活用)」と、歴史的建造物を活用しながらまもる「保全活用」の両輪体制を構築し、相互に補完しながら、それらの保護を進めています。 文化財保護条例に基づく文化財の保存 文化財保護を所管する教育委員会(生涯学習文化財課)では、文化財保護条例に基づき、歴史上、学術上等の価値を有する文化財を指定するほか、地域住民が守ってきたもの及び地域を知る上で必要な文化財を、緩やかな規制で幅広く保護する登録制度を導入しています。 指定等文化財の所有者や管理団体に対する管理奨励金や保存修理、防災に関する補助金等を交付するほか、文化財保存修理に関する相談対応、防火訓練等を通じた出火防止対策や出火時の初期対応の指導等を行っています。 歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく歴史的建造物の保全活用 歴史を生かしたまちづくりを所管する都市整備局(都市デザイン室)では、開港以来の近代建築や西洋館、土木遺産、郊外部に残る農村の風情を伝える古民家や社寺など、市内に残る歴史的建造物を再評価し、まちづくりの資源として位置付け、その保全と活用を積極的に図っていくため、1988(昭和63)年に「歴史を生かしたまちづくり要綱」を施行しました。所有者の協力を得て、主に建築物の外観を保全しながら活用を図ることを目的としており、要綱に基づいて「登録」、「認定」を進めています。認定を受けた歴史的建造物については、外観の保全改修や維持管理等に対して助成を行っています。 ◆景観制度(2006(平成18)年~)  良好な景観の形成を進めるため、景観法に基づく「横浜市景観計画」を策定し、景観条例に基づく「都市景観協議地区」内では、建築物や工作物の新設、改築、外観の変更等を行う場合は、協議が必要である旨を定めています。また、上記のような景観制度に基づき、山手地区の歴史・異国情緒を感じる景観や樹木・緑の保全(山手地区都市景観協議地区)や、日本大通りのイチョウ並木の保護(景観重要樹木)等が制度化され、歴史的な景観を大切にした魅力ある都市景観の形成に取り組んでいます。また、2013(平成25)年に景観条例の一部を改正し、「特定景観形成歴史的建造物制度」を新設し、歴史的景観の魅力を生かした、文化・観光施設や飲食店など都市の魅力向上や活力創出に資する施設への利活用を推進しています。 【45ページ】 ③文化財の活用に関する取組 ◆歴史文化に関する普及啓発・理解促進  教育委員会では、時代領域の異なる博物館5施設(横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館、横浜市三殿台考古館)、八聖殿郷土資料館や埋蔵文化財センター、称名寺境内や稲荷前古墳群等の史跡などの管理・運営等を通じて、市民が横浜の歴史文化を学び、触れる機会を創出しています。  また、「市史資料室」や「横浜みなと博物館」のほか、民間の博物館においても、各施設が所蔵する歴史資料等を活用し、横浜の歴史文化に関する普及啓発等を行っています。各地にある説明板や由来板も、その文化財や歴史を伝えるツールの一つです。  市内では、市民が各地域の魅力や歴史を伝える取組も行われています。例えば、市歴史博物館での市民ボランティアによる展示解説、市民ボランティアガイドによる地域の歴史的変遷や見どころ等の案内、市民講師による講座の開催など、市民が主体となって、地域の歴史を伝える活動も行われています。 ◆歴史的建造物の公園内での公開  市が所有する古民家や西洋館などの歴史的建造物を、NPO法人や民間企業等の活力を活用しながら、公園内で広く市民に公開しています。各施設では、主に指定管理者制度によって管理・運営するとともに、季節に応じたイベントなどを通じて、市民や来場者が親しむ機会を提供しています。 ◆文化芸術創造都市施策  2000年代前半当時、都心臨海部では、歴史的建造物が少しずつ姿を消し、オフィスビルの空室率が上昇するなど、都市の活力が失われつつありました。これに対して、横浜市では、文化芸術振興や産業振興施策(ソフト)とまちづくり施策(ハード)を融合した一体的な施策として「文化芸術創造都市施策」を導入しました。  開港当時の歴史を今に伝える西洋建築・近代建築などの歴史的建造物や公共空間を、アーティスト・クリエイターの活動の場として活用する等、創造性を生かしたまちづくりによって、文化・経済の両面で都市の活力を生み出し、国内外から選ばれる都市として持続的に発展していくことを目指し取組を進めています。 ◆横浜港に関する文化財の活用、賑わい創出  横浜の最大の観光資源である港をより質の高い魅力的な空間とするため、文化財や特徴のある景観を活用したウォーターフロントの形成を進めるとともに、客船の寄港促進に努め、賑わいと国際性あふれる横浜港の形成に取り組んでいます。みなとみらい21中央地区と中華街・山下地区を結ぶ中間点に位置する臨海部では、横浜港に関する文化財を賑わい創出の要素の一つとして活用し、水際線沿いを歩く人々の流れをつくり、両地区の結節点となるとともに、人々の快適な憩いの場、交流の場となっています。 【46ページ】 4節 目指す姿の実現に向けた課題  文化財の保存・活用に関する取組は、行政のみならず、多様な主体によって行われてきましたが、高齢化、自然災害の発生、感染症拡大などの社会状況の変化によって、人材不足や資金不足、活動の機会の減少など、様々な課題が取組の中で生じています。  本節では、本計画で目指す3つの姿の実現にあたっての課題を整理しました。 ①「まもる」に関する課題 ◆課題1:文化財に関する継続的な把握調査と追加調査の実施が必要  市域の文化財に関する把握調査が概ね完了してから30年以上経過しており、経年劣化や維持管理の人手不足等の社会状況の変化をふまえ、過去の調査対象に関する現状確認や追加調査を継続的に行う必要があります。特に無形の民俗文化財は、人から人へ伝えられるという性質上、高齢化や感染症拡大に伴う活動の機会の減少等により、継承が困難になる状況も生じており、現状の確認や対策の検討の必要性が高まっています。  また、戦後の歴史的建造物や近代の遺跡等、調査が進んでいない分野の調査の実施や、これまで様々な主体による調査で把握された文化財の整理を進め、必要に応じて追加調査を実施するなど、未指定文化財の把握も継続して進める必要があります。 表4-1 類型ごとの調査実施状況 類型、有形文化財、種別、建造物、一般建造物、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、建造物、石造建造物、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、絵画、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、彫刻、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、工芸品、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、書跡・典籍、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、古文書、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、考古資料、実施状況、調査が進んでいる。 類型、有形文化財、種別、美術工芸品、歴史資料、実施状況、調査が進んでいる。 類型、無形文化財、種別、(演劇・音楽・工芸技術等)、実施状況、調査を行っていない。 類型、民俗文化財、種別、有形の民族文化財、実施状況、調査が進んでいる。 類型、民俗文化財、種別、無形の民族文化財、実施状況、調査が進んでいる。 類型、記念物、種別、遺跡(史跡)、実施状況、調査が進んでいない。 類型、記念物、種別、名勝地(名勝)、実施状況、調査が進んでいない。 類型、記念物、種別、動物・植物・地質鉱物(天然記念物)、実施状況、調査が進んでいない。 類型・種別、文化的景観、調査を行っていない。 類型・種別、伝統的建造物群、調査が進んでいない。 ◆課題2:埋蔵文化財の調査の継続的な実施が必要  埋蔵文化財は地中に埋まった状態にあることから、その範囲や内容の全てが把握されているわけではなく、既に周知されている埋蔵文化財包蔵地でも、その範囲や内容が明確でないことがあります。  発掘調査によって出土した、当時の建物の跡などの遺構や、当時の生活状況を明らかにする石器や土器などの遺物は、本市の歴史や文化を解明する上で重要な資料となります。開発等により、未記録のまま破壊されないよう、適切な埋蔵文化財の取扱いを進めるとともに、過去に実施した発掘調査の出土品や調査報告書の整理・刊行、新たな学術調査にも取り組み、横浜市の歴史文化を後世に継承していく必要があります。 【47ページ】 ◆課題3:適切な保存のための文化財所有者や管理者に対する支援が必要  指定等文化財については、日常管理に対する管理奨励金を交付するほか、保存修理や防災施設の整備、公開等に対する補助金を交付していますが、これらの補助制度は経費の一部を補助するもので、所有者が費用を負担できないと、日常の維持管理や適切な修繕等を行うことは難しくなります。  2020(令和2)年度に実施した、指定等文化財の所有者・管理者向けのアンケート調査では、アンケートに回答した所有者・管理者のうち、35.9 % は「保管や修理等に要する費用負担」について、25.6 % は「日常の維持管理」について困っていると回答しました。  所有者・管理者の状況を定期的に把握し、必要に応じて、補助金制度の見直しや、民間の補助金制度の情報提供、修繕への技術的支援、活用に関する相談等の支援のほか、各文化財の保存・活用の方針や基準等を定めた保存活用計画の作成も必要です。 [図4-3] 所有又は管理されている文化財の保存・活用にあたって、困っていること(複数回答,n=117) 日常の維持管理 25.6% 保管する場所の確保 6.8% 保管や修理用に要する費用負担 35.9% 修理等を行うための施工者や資材の確保 6.0% 現状変更等の手続、制約 4.3% 保存・活用に必要な知見がない 4.3% 将来的な担い手の不在 10.3% 将来継承する際の相続税負担 2.6% 見学や貸出等の希望への対応 3.4% 行政等の支援についての情報がない 6.0% 文化財が所在不明になった 0.0% 特にない 36.8% その他 7.7% 無回答者 7.7% 出典:文化財所有・管理者向けアンケート(令和2年度) ◆課題4:火災、風水害等に対する防災対策が必要  2019(令和元)年、パリ・ノートルダム大聖堂や沖縄・首里城が火災による甚大な被害を受け、文化財の防火対策への関心が高まりました。また、台風による風水害等、自然災害による文化財への被害も発生しています。  本市においても、集中豪雨や猛暑等、近年頻発する気候変動の影響が顕著になっており、風水害による被害や、倒木や落石等の被害も報告されています。気候変動の影響に対応し、被害を最小化・回避するため、適応策を推進していくことは喫緊の課題となっており、文化財の保存・活用においても、それらをふまえて自然災害に備えておく必要があります。 表4-2 横浜市の住家被害及び非住家被害の件数※13 2017(平成29)年度、住家被害36、非住家被害23 2018(平成30)年度、住家被害520、非住家被害94 2019(令和元)年度、住家被害2,570、非住家被害850 2020(令和2)年度、住家被害1、非住家被害0 2021(令和3)年度、住家被害7、非住家被害4 2022(令和4)年度、住家被害3、非住家被害0 出典:「横浜市の災害」 脚注※13 住家:現実に居住のために使用している建築物、非住家:住家以外の建築物 【48ページ】  本市では、文化財を火災等の災害から守るため、毎年1月の文化財防火デーを中心に、文化財関係者による通報、初期消火、避難誘導などの訓練や、消防隊・消防団による放水訓練等を実施するほか、市指定有形文化財の収蔵庫や放水銃等の防災施設設置に対する相談対応や補助金交付を行っています。  これらの取組を継続して行うとともに、所有者等が対策を講じているかの実態把握や、発災時に適切に対応できるような支援も必要です。  また、本市が管理団体となっている史跡・名勝等で土砂災害特別警戒区域となっている崖が約40か所あり、それらの対策を計画的に実施していく必要があります。 ◆課題5:文化財の適切な保管・管理が必要  文化財を適切に保存し、次世代に継承していくためには、それらを保管する場所、スペースが必要です。また、文化財の特性に応じて、温湿度管理や、防虫・防カビなど適切な保管環境を整えることも不可欠です。  教育委員会が所管する、横浜市歴史博物館、横浜市開港資料館、横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館、三殿台考古館が所蔵する資料は約57万点に上り、今後の資料収集・調査研究等により所蔵資料の増加が見込まれています。資料の増加にともない、適切な管理に向けた整理スペースの確保も必要となっています。  また、市内の発掘調査による出土品等を保管する埋蔵文化財センターは、開発に伴い増加し続ける出土品の保管場所が不足している状況が続いており、保管場所の確保が喫緊の課題です。 ②「いかす」に関する課題 ◆課題6:文化財への理解の促進と価値に配慮した活用が必要  文化財を、様々な視点で生かしていくためには、文化財の公開や普及啓発をはじめ、生涯学習、学校教育、地域活動、まちづくりや観光など、様々な分野において活用が図られていくことが重要です。加えて、活用にあたっては、文化財の本質的な価値を生かし、活用によってその価値を損なうことのないよう、その特性に応じた活用を進めることが必要です。例えば、宗教活動の場である社寺や個人所有の文化財は、宗教的な空間や環境への配慮、所有者の個人情報の保護などへの十分な配慮が求められています。このような文化財の特性に配慮するためには、文化財の調査等によってその価値を明らかにするとともに、市民に対して情報を発信し、文化財への理解促進を図る必要があります。 【49ページ】 ◆課題7:文化財に触れ、親しみを感じる機会の創出が必要  これまでは、個々の文化財を調査・把握、指定・登録等を行いながら、各分野で理解促進・普及啓発、公開を進めることで、学びや地域活動の活性化、歴史を生かしたまちづくりや賑わい創出にも寄与してきました。しかし、これらの取組は個々の文化財、いわゆる「点」としての保存・活用が中心となっていました。  本市の文化財や歴史文化の価値・魅力をさらに高めるには、複数の文化財を関連付けて一体的に捉え、共通のテーマやストーリーとともに保存・活用に取り組むことで、横浜の歴史文化をより一層わかりやすく伝えるなど、多くの市民や来訪者が文化財に触れ、親しみを感じる機会を創出していくことが必要です。 ③「つながる」に関する課題 ◆課題8:情報発信の充実が必要  現在は、文化財の情報が個々に記録・管理されている事例も多く、文化財に関する情報の集約・発信も進んでいないのが現状です。  文化財の保存・活用に様々な主体が参加し、連携できる体制を構築するためには、文化財に関する情報、保存・活用の課題や取組等が可視化され、それらの情報に、アクセスしやすい環境となっている必要があります。また、広報媒体や各種SNS等の活用や、計画的な発信等により、それらの情報を国内外問わず効果的に発信していくことも必要です。 ◆課題9:新たな担い手や守り手の創出が必要  昨今の全国的な傾向と同様、本市においても少子高齢化が進んでいます。それに伴い、文化財の所有者を中心とした守り手、継承を支えてきた担い手の高齢化も進み、後継者不足につながると、文化財を次世代に継承することが難しくなります。  特に、神楽やお囃子、祭事等の無形民俗文化財は、人から人へと伝えられる性質上、後継者不足は継承に大きな影響を与えます。  建造物や美術工芸品などの有形文化財でも、維持管理の負担や、後継の所有者がいないことにより、継承が困難になるケースもあります。  所有者や管理団体といった特定の主体だけで文化財を保存・活用していくことは困難な場合もあるため、今後は、地域社会で課題を共有しながら、多様な主体の連携や、新たな担い手・守り手の創出が必要です。 ◆課題10:文化財の保存・活用に関する相互連携・協力体制の整備が必要  文化財の保存・活用に関する取組は、行政や所有者のみならず、市民、関係団体、専門機関、民間企業等によって行われてきましたが、活動している主体やその取組内容の実態把握、活動主体が相互に連携する体制は十分に整っていません。  これまで取組を行ってきた様々な主体が、それぞれの強みを生かし連携するとともに、新たな主体が参画しやすい環境づくり、協働の体制づくりが不可欠です。 【50ページ】 第5章 文化財の保存・活用の方針と施策 本章では、前章で示した「目指す姿」の実現に向けた3つの方針と12の施策を設定します。 1節 文化財の保存・活用に関する方針  文化財の保存・活用に関するこれまでの取組や課題をふまえ、本計画では、3つの方針 に基づく施策を計画的・持続的に実施し、「まもる」、「いかす」、「つながる」の3つの姿の実現を図ります。 [図5-1] 課題と方針の関係性 課題1 文化財に関する継続的な把握調査と追加調査の実施が必要 課題2 埋蔵文化財の調査の継続的な実施が必要 課題3 適切な保存のための文化財所有者や管理者に対する支援 課題4 火災、風水害等に対する防災対策が必要 課題5 文化財の適切な保管・管理が必要 課題6 文化財への理解の促進と価値に配慮した活用が必要 課題7 文化財に触れ、親しみを感じる機会の創出が必要 課題8 情報発信の充実が必要 課題9 新たな担い手や守り手の創出が必要 課題10 文化財の保存・活用に関する相互連携・協力体制の整備が必要 方針①まもる 調査の充実と適切な保存 方針②いかす 文化財の特性に応じた活用の推進 方針③つながる 多様な主体がつながる仕組みづくり 【51ページ】 ㋐【方針①】まもる 調査の充実と適切な保存  課題1~課題5をふまえ、本計画では、市内の未指定文化財の把握や価値の検証等を各種調査を通じて、継続して行うとともに、文化財の指定・登録、歴史的建造物の認定等、制度による文化財の保存を進めます。  また、近年多発する自然災害への対応として、文化庁が発行する「国宝・重要文化財(建造物等)の防火対策ガイドライン」及び「国宝・重要文化財(美術工芸品)を保管する博物館等の防火対策ガイドライン」を活用するとともに、防災訓練等の実施、貴重な文化財の保管場所の確保等により、自然災害に備えます。発災時には、独立行政法人国立文化財機構の本部施設である文化財防災センターとの連携や支援の要請などを行い、初動対応の迅速化と連携・情報共有を図ります。 ㋑【方針②】いかす 文化財の特性に応じた活用の推進  課題6及び7をふまえ、本計画では、多様な主体が、それぞれの文化財の価値や特性に配慮しながら、様々な視点で活用を進めることを目指します。  また、活用にあたっては、市民が横浜の歴史文化に親しみ、楽しむ機会を増やし、文化財保護への理解促進につなげていきます。 ㋒【方針③】つながる 多様な主体がつながる仕組みづくり  教育委員会では、時代領域ごとに、市歴史博物館等を設置しており、横浜の歴史文化に関する専門的な知識やネットワークを有する公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団が管理・運営しています。2022(令和4)年の博物館法の改正では、博物館資料のデジタル・アーカイブ化や、他の博物館等との連携、地域の多様な主体との連携・協力による地域の活力の向上など、博物館にも新たな役割が求められています。  また、第32期横浜市社会教育委員会議提言(本市における社会参加のすそ野の拡大)では、市民の社会参加を促す方策として、①社会参加につながる情報の見える化、②市民の社会参加のきっかけづくりを担う人材の育成と活用が示されました。  計画では、この2つの動向や課題8~課題10をふまえ、市歴史博物館等を中心として、他の博物館をはじめ、多様な主体の連携事業を推進しながら、文化財の保存・活用に関する情報をわかりやすく伝えるとともに、参加のきっかけづくりを担う人材の育成を目指し、多様な主体がつながる仕組みを構築します。 【52ページ】 ㋓3つの方針に連なる12の施策  本計画では、3つの方針に連なる12の施策を体系化するとともに、各施策における主な取組を設定しました。12の施策と、各施策の主な取組については、次節にて詳しくまとめています。 【53ページ】 2節 文化財の保存・活用に関する施策  文化財の保存・活用に関する基本的な3つの方針に基づき、本計画では計画期間である 2024(令和6)年度から2029(令和11)年度にかけての中長期的な視点のもと、目指す姿の実現に向けて12の施策を展開していきます。  次ページ以降に、各施策の指標、各施策において実行する「主な取組」を掲載しています。各取組には、重点取組、取組内容、実施主体、実施期間について記載していますが、いずれも年度ごとの予算編成を通じて実施していきます。 ◆指標  各施策において、主な取組によってもたらされる効果や成果を測るため、客観的・定量的に把握できるものや、重点的に取り組む事業の実績を表すものを設定しています。 ◆重点取組  主な取組のうち、重点的に行う取組に「★」を付しています。重点取組については、次のいずれかに該当するものを設定しています。 ①課題や社会状況などにより、緊急性の高いもの ②国庫補助金等を活用して戦略的に取り組んでいるもの、または今後取り組むもの ◆実施主体  実施主体(表中ニジュウマル)及び参画者(表中マル)を掲載していますが、必要に応じてその他の主体とも連携・協力しながら事業を行うこととします。 [表5-1] 実施主体と参画者の定義 種別、ニジュウマル、実施主体、定義、取組の実施にあたり、取組内容の検討や、財源確保・執行などに主体的に取り組むもの 種別、マル、参画者、定義、実施主体との連携や協力、支援などを行うことで、取組の推進に寄与するもの、又は、寄与を期待するもの [表5-2] 各主体の表記と定義 表記、所有者等、表中の表記、所有、定義、文化財の所有者(行政含む)、保存団体、管理団体、技術者・技能者等 表記、専門機関、表中の表記、専門、定義、各分野を専門とする有識者、専門家で構成される専門機関、大学等の研究機関 表記、市民・市民団体、表中の表記、市民、定義、横浜市居住者、市内在学・在勤者、歴史文化の保存・活用に参画する市民団体(NPO法人、市民ボランティア団体等) 表記、関係団体・企業、表中の表記、団体、定義、文化財の保存・活用に参画する公益法人、民間企業 等 表記、教育機関、表中の表記、教育、定義、市民が歴史文化を学ぶ機会を提供する教育機関 表記、行政、表中の表記、行政、定義、国、県、市 ◆実施期間  主な取組を実施する期間を記載しています。継続的に実施するものは「R6-11」と記載し、計画期間の中で新たに実施するものは「R6-11(新)」と記載しています。 ◆財源  取組の実施にあたっては、所有者等が負担する財源や市費だけでなく、県費・国費(文化財補助金・デジタル田園都市国家構想交付金等)、その他民間資金等を積極的に活用し、幅広い財源確保に努めます。 【54ページ】 (1)方針① 調査の充実と適切な保存 ◆施策1:文化財の把握調査、詳細調査などの実施  文化財保護審議会をはじめとする有識者や大学、博物館施設等と協働し、文化財の把握調査や詳細調査等を進めます。また、指定等文化財の現況を確認するための巡回調査を行います。 指標 専門機関等と連携した文化財の把握調査、詳細調査件数 令和4年度 年7件 令和11年度 年10件 指標 無形民俗文化財保護団体の現況調査件数 令和4年度 年1件 令和11年度 年5件 指標 指定等文化財の巡回調査件数 令和4年度年8件 令和11年度年10件 番号1-1、市内の文化財の把握調査・詳細調査等の実施、内容、文化財保護審議会等の専門機関と連携し、市内の文化財の把握調査、詳細調査等を進めます。特に、近代遺跡や近代建造物など、調査が進んでいない分野の調査も進めます。実施主体、主体は行政、専門、参画は所有、専門、団体。実施期間令和6年度か ら11年度。 番号1-2、重点取組、無形民俗文化財保護団体の現況調査、内容、活動の機会が減少し、継承が困難な状況にある無形民俗文化財保護団体の現況調査を進めます。実施主体、主体は専門、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号1-3、指定等文化財の巡回調査、内容、指定等文化財の現況を把握するため、巡回調査を行います。実施主体、主体は専門、行政、参画は所有、実施期間令和6年度から11年度。 番号1-4、国天然記念物ミヤコタナゴ保護育成(個体数調査、生育環境調査等の実施)、内容、国指定天然記念物ミヤコタナゴの個体数減少を防ぐため、保護・増殖を行うとともに、野生復帰を目的とした生育環境調査を実施します。実施主体、主体は専門、行政、参画は専門、市民、行政、実施期間令和6年度から11年度。 ◆施策2:埋蔵文化財調査の実施  開発事業者や市民の理解を得ながら、埋蔵文化財の調査を実施するとともに、出土品の整理、調査報告書の作成を進めます。また、埋蔵文化財を適切に取り扱うため、必要な手続き等を示した手引きなどを作成・活用し、周知を行います。 指標 土木工事等に伴う試掘調査件 令和4年度 年13件年 令和11年度 年36件 番号2-1、重点取組、工事等に伴う発掘調査の実施と出土文化財の再整理、内容、土木工事等により現状保存することが困難な埋蔵文化財については、発掘調査による記録保存を行います。また、出土文化財を適正に保管するため、出土文化財の再整理を行います。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号2-2、個人住宅建築に伴う発掘調査の実施、内容、個人住宅建築に伴い、発掘調査を実施します。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号2-3、埋蔵文化財包蔵地外の試掘・確認調査の実施、内容、土木工事等の施工中、埋蔵文化財が不時発見されることがないように、周知の埋蔵文化財包蔵地の範囲外についても、試掘・確認調査を実施します。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号2-4、重要遺跡等の試掘・確認調査の実施、内容、市内に遺存する保存が良好で、学術的に重要な遺跡に対して、保存目的の試掘・確認調査を実施します。実施主体、主体は行政、参画は専門、実施期間令和6年度から11年度。 番号2-5、埋蔵文化財の取扱いに関する周知、内容、埋蔵文化財保護に関する必要な手続き等の手引書を作成し、周知します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 【55ページ】 ◆施策3:制度による保護の推進  文化財保護法や条例、その他本市が定める要綱等に基づき、文化財の指定・登録、認定を進めます。また、文化財などの所有者・管理者に対して、修理や維持管理に必要な支援を行います。特に財政的支援については、国や民間の補助金などの情報を収集・提供するとともに、クラウドファンディング等、新たな財源確保を進めます。 指標 文化財保護法・条例に基づく指定・登録文化財の指定・登録数 令和4年度476件、令和11年度487件 指標 歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく認定歴史的建造物の認定数 令和4年度100件、令和11年度105件 番号3-1、重点取組、文化財保護法・条例と歴史を生かしたまちづくり要綱の連携した運用による保護の推進、内容、文化財行政を所管する教育委員会と歴史を生かしたまちづくりを所管する都市整備局で相互連携・補完しながら制度運用を行うことで、市内の文化財の保護を進めます。また、所有者・管理者に対して、修理や維持管理等に必要な支援を行います。実施主体、主体は行政、参画は所有、専門、実施期間令和6年度から11年度。 番号3-2、名木古木の保存、内容、潤いある市民生活の確保と都市の美観風致の維持のため、古くから街の象徴として親しまれ、故事来歴などのある樹木を指定し、維持管理を支援します。実施主体、主体は所有、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号3-3、保存(保全)活用計画の作成の推進、内容、文化財の現状や課題を把握し、その保存・活用に必要な事項、方針等を定めた保存活用計画等の作成を進めます。実施主体、主体は所有、行政、参画は専門、実施期間令和6年度から11年度。 番号3-4、重点取組、新たな財源確保、内容、国や民間の補助金などの情報収集、所有者等への情報提供を行うとともに、クラウドファンディングなどの新たな財源確保に取り組みます。実施主体、主体は所有、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号3-5、所有者アンケート等による定期的な現状把握、内容、指定等文化財の所有者・管理者に対して、定期的な情報提供、注意喚起等を行うとともに、アンケートを実施し、現状把握と必要な支援策の検討につなげます。実施主体、主体は行政、参画は所有、実施期間令和6年度から11年度、隔年、新規。 ◆施策4:文化財の防災対策  市内の国・県及び市の指定等文化財を対象に、防災訓練等を通じた出火防止対策や出火時の初期対応等の指導等を行い、防災意識を高めます。また、史跡等内の崖地について、その価値を損傷しないよう考慮しながら、崖地の安全対策を行います。 指標 文化財を対象とした消防訓練の実施件数 令和4年度 年22件、令和11年度 年22件 指標 史跡等の崖地の安全対策着手件数 令和4年度 年5か所、令和11年度 年5か所 番号4-1、重点取組、文化財を対象とした防災訓練の実施、内容、指定等文化財を対象として、防災訓練等を通じた出火防止対策や出火時の初期対応等の指導を行います。実施主体、主体は所有、行政、参画は市民、実施期間令和6年度から11年度。 番号4-2、重点取組、文化財防災マニュアルの作成、内容、文化庁が発行する防火対策ガイドラインや神奈川県文化財防災対策マニュアルに基づき、市の指定等文化財の所有者・関係者向けのマニュアル等を作成します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から7年度。 番号4-3、重点取組、市内の史跡等の崖地対策工事等の実施、内容、史跡等範囲内において、土砂災害警戒区域に指定された崖地の安全対策を計画的に進めます。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 ◆施策5:収蔵施設の整備  博物館における資料の収集・研究事業を継続し、資料を次世代に継承していくため、十分な収蔵スペースの確保や、収蔵場所の防災対策等、収蔵品を適切に保管できる環境を整えます。 指標 出土文化財の新たな収蔵場所の確保 番号5-1、重点取組、出土文化財の収蔵場所と博物館の収蔵スペースの確保、内容、埋蔵文化財センターに保管する発掘調査等による出土文化財の保管場所、博物館*の収蔵場所の確保に向けた検討を進めます。また、博物館※14が収蔵する歴史的資料を水害から守るため、所蔵資料の整理や移動等の対策を行います。実施主体、主体は所有、団体、行政。実施期間令和6年度から11年度。 脚注※14 博物館 … 横浜市教育委員会が所管する、横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館、横浜市三殿台考古館、横浜市八聖殿郷土資料館、埋蔵文化財センターを指す。以下、同様の場合に「博物館※14」と記載。 【56ページ】 (2)方針② 文化財の特性に応じた活用の推進 ◆施策6:歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会の充実  横浜の歴史文化をわかりやすく伝え、体験する機会や、学ぶ機会の充実を図ります。また、博物館を市民や子どもの体験・学びの場として充実させるため、三殿台考古館の再整備検討や、博物館の展示のリニューアル等の検討も進めます。 指標 博物館*に来館した児童・生徒数 令和4年度 年80,913人、令和11年度 年82,000人 指標 文化財を活用した訪問授業の参加者数 令和4年度 年12,317人、令和11年度 年13,000人 指標 博物館*における講演会・講座の実施件数 令和4年度 年44回、令和11年度 年48回 番号6-1、博物館等の管理・運営、内容、横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館及び横浜市三殿台考古館の5施設について、指定管理者制度により管理・運営を行うとともに、埋蔵文化財センター、横浜市八聖殿郷土資料館の管理・運営を行います。実施主体、主体は団体、行政、実施期間、令和6年度から11年度。 番号6-2、市内の史跡等の公開・管理、内容、史跡等の維持管理や必要な整備を行い、適切に公開します。(国史跡大塚・歳勝土遺跡、国史跡称名寺境内、県指定史跡市ケ尾横穴古墳群、県指定史跡稲荷前古墳群、南堀貝塚、上行寺東遺跡復元整備地等)、実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-3、文化財を活用した学校教育への支援、内容、市内の発掘調査等によって出土した土器・石器や天然記念物ミヤコタナゴの活用等、様々な文化財の活用を通じて、子どもが歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。また、市立学校用副読本で市内に所在する文化財をわかりやすく伝えます。実施主体、主体は教育、行政、参画は専門、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-4、市史資料等の保存活用、内容、市民共有の歴史的文化資産として、横浜市史資料室が所蔵する横浜市の歴史的公文書及び「横浜市史Ⅱ」編集事業の成果である昭和期以降の横浜の歴史に関する資料等を、広く市民の利用に供します。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-5、地域の歴史講座、講演会等の実施、内容、地域の歴史講座や、講演会などにより、地域の歴史文化を学び、知る機会を提供します。実施主体、主体は行政、参画は専門、市民、団体、実施期間令和6年から11年。 番号6-6、国指定重要文化財の特別公開、内容、通常非公開の国指定重要文化財について、所有者の協力のもと、特別公開を行います。実施主体、主体は所有、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-7、重点取組、博物館における普及啓発、体験事業の充実、内容、博物館等において、土器や勾玉づくり、火起こし体験などを通して、子どもが歴史文化を身近に感じる機会を創出します。また、令和4年6月にリニューアルオープンした「横浜みなと博物館」では、日本初の常設体験型VR(仮想現実)シアターなどの最新の映像技術を活用し、横浜港の歴史を体感できる機会を提供します。実施主体、主体は団体、行政、参画は市民、教育、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-8、重点取組、横浜市歴史博物館の展示リニューアル検討、内容、開館後30年が経過して展示機器や設備の老朽化が進み、またその間進展した学術的成果をふまえて、展示内容の更新が必要な歴史博物館の常設展示リニューアルに向けた検討を行います。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度、新規。 番号6-9、史跡三殿台遺跡の再整備にむけた検討、内容、開館後50年が経過し、施設の老朽化、国指定史跡三殿台遺跡の保護に対応するため、再整備に向けた検討を行います。実施主体、主体は団体、行政、参画は専門、実施期間令和6年度から11年度。 【57ページ】 ◆施策7:地域活動の活性化  地域や関係団体等との連携・協働による各地域の文化財の活用を通じて、地域活動の活性化や多世代交流を図るとともに、文化財への理解促進、地域への愛着の醸成につなげます。 指標 文化財を活用した地域活動の推進 令和11年度 推進 番号7-1、地域、関係団体等の協働による文化財の活用、内容、地域の文化財を、地域・関係団体等の連携・協働により活用します。実施主体、主体は所有、行政、参画は市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号7-2、文化財に関する活動への支援、内容、地域固有の文化財を活用した取組に対する支援(補助金交付、情報提供等)を通じて、文化振興や地域活性化につなげます。実施主体、主体は行政、参画は所有、市民、団体、実施期間令和6年度から11年度年。 番号7-3、地域の文化財を活用したイベント等の実施、散策ルートの設定や案内板の整備、内容、地域の文化財を活かしたイベント等の実施、散策ルートの設定・活用や案内板の整備などを行います。実施主体、主体は団体、行政、参画は市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 ◆施策8:歴史を生かしたまちづくり  歴史的建造物の保全活用を通じて、横浜ならではの歴史文化を街の個性・魅力に転換し、総体的な街の魅力の一つに織り込み、都市の記憶として後世に引き継ぎます。 指標 歴史的風致維持向上計画の策 令和11年度 策定 番号8-1、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-2、谷戸の原風景の保全、内容、ふるさと村、舞岡公園、新治里山公園を良好に維持し景観の保全を進めます。実施主体、主体は所有、団体、行政、参画は所有、市民、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-3、歴史的建造物の保全活用に係る支援、内容、歴史的建造物に関する助成制度や歴史を生かしたまちづくり相談室の運営等により、歴史的建造物の保全活用に係る支援を行います。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-4、公園内における歴史的建造物の公開・活用、内容、古民家や西洋館などの歴史的建造物を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-5、震災復興橋梁の保全、内容、1923(大正12)年の関東大震災後、復興の礎として架けられた橋梁の文化財的価値を考慮し、計画的に保全していきます。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-6、遊休不動産の創造的活用(芸術不動産)、内容、主に関内・関外地区の遊休不動産のオーナーの方々と協働し、民設民営型の活動拠点を創造する芸術不動産事業を進めます。また、2022(令和4)年3月に改定した「芸術不動産ガイドブック」等により、遊休不動産の魅力的な活用事例を伝えます。実施主体、主体は団体、参画は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-7、創造界隈拠点としての活用、内容、関内・関外地区をはじめとする都心臨海部の歴史的建造物等を活用し、まちの賑わいづくりを進めます。実施主体、主体は団体、行政、参画は市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-8、重点取組、歴史的風致維持向上計画の策定検討、内容、横浜の歴史を生かしたまちづくりの推進に向け、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づき、「歴史的風致維持向上計画」の策定を検討します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度、新規。 【58ページ】 ◆施策9:文化財を活用した文化芸術活動  文化財や博物館等を文化芸術の鑑賞や体験、発表等の場として活用し、歴史文化に親しむ機会を創出します。 指標、横浜能楽堂及び大倉山記念館の年間来館者数合計、基準値※15 年9.4万人、令和11年度 年17万人 脚注※15 基準値は平成28年度から令和元年度の平均 指標、博物館や歴史公園で開催する文化芸術活動の実施回数、令和4年度 年20回、令和11年度 年26回 番号9-1、文化財を活用した文化芸術活動、内容、市指定文化財染井能舞台(横浜能楽堂)において、歴史文化の魅力を感じつつ、能や狂言の鑑賞や体験などの古典芸能に親しむ機会を創出します。市指定文化財大倉山記念館において、施設の魅力発信とともに、市民の身近な文化活動の場を通じて、地域における文化交流の発展につなげます。その他、歴史公園や博物館*、歴史的建造物等を、文化芸術活動の鑑賞、体験、発表の場として活用し、歴史文化に親しむ機会を創出します。実施主体、主体は所有、市民、団体、行政、参画は市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 ◆施策10:文化財を活用した賑わい創出  文化財を観光資源としても活用を進め、文化観光拠点としての機能を強化し、国内外からの誘客や賑わい創出につなげます。 指標、市指定文化財 横浜開港資料館(旧英国総領事館)の来館者数、令和4年度 年32,000人、令和11年度、年112,000人 指標、日本丸メモリアルパークの入館者数、令和4年度 年45万人、令和11年度 年50万人 指標、国指定名勝 三溪園の有料来園者数、令和4年度 年247,415人、令和11年度 年313,000人 指標、横浜美術館の来館者数、基準値※16、年670,112人、令和11年度 年100万人 脚注※16 基準値は平成27年度から令和元年度の平均 番号10-1、重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化、内容、日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として定着させることを目指します。実施主体、主体は団体、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-2、重点取組、横浜美術館における文化観光拠点としての機能強化、内容、横浜美術館には、横浜の歴史に根差した美術品をはじめ、約12,000点にのぼる多ジャンルの美術資料を収集しています。これらの資料のデーターベース化やストーリー性をもった展示などにより、コレクションの文化資源としての磨き上げを行い、国内外の観光客が常に訪れ、横浜由来の「美の世界」を体感する美術館を目指します。実施主体、主体は団体、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-3、重点取組、横浜港に関する文化財を活用した賑わい創出、内容、1859(安政6)年の開港を契機に、都心臨海部に集積する横浜港に関する文化財の活用を通じて、市民や来街者が、横浜港の様々な魅力について、見て、触れ、学び、楽しめる機会を創出するとともに、街歩きを楽しみながら港の歴史を感じられる機会を創出し、港周辺の回遊性を高めます。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-4、重点取組、三溪園における観光資源としての磨き上げ、内容、17万5千平米に及ぶ園内に、国の重要文化財等の歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置され、国の名勝にも指定されている「三溪園」において、季節に応じた催事の創意工夫や新たな魅力創出などに取り組み、観光資源としての磨き上げを行います。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 【59ページ】 (3)方針③ 多様な主体がつながる仕組みづくり ◆施策11:情報の公開、発信の強化  博物館が所蔵する資料のデジタル化の推進や、横浜の歴史文化に関する情報、関連する取組の収集・発信を強化し、多様な主体がアクセスしやすく、情報を共有できる環境を整えます。 指標、本計画に基づく実施報告書の作成と公開、令和11年度作成・公開 指標、文化遺産オンラインで登録・公開した文化財件数、令和11年度100件 番号11-1、調査成果の公表、普及啓発、内容、市内の文化財の把握調査や詳細調査等の成果を「横浜市文化財調査概報」等の発行や、「指定・登録文化財展」の開催、説明板の設置・更新等などにより、市民に公開します。実施主体、主体は行政、参画は所有、専門、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-2、歴史文化に関する情報発信、広報、内容、広報誌をはじめ、SNSやホームページ、地域の歴史文化を紹介するガイドブック・ガイドマップ、動画等を活用し、横浜市の歴史文化に関する情報公開・発信を行います。実施主体、主体は団体、行政、参画は所有、専門、市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、市域の文化財を一体的に捉えた関連文化財群を活用し、横浜の歴史文化の特徴や市域の様々な文化財をわかりやすく伝えるための普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 番号11-4、博物館の収蔵資料のデジタル化と公開、内容、博物館が収蔵する歴史資料のデジタル化を進め、文化庁が管理運営する「文化遺産オンライン」など、他の機関のサイトとも連携しながら、国内外に発信します。実施主体、主体は所有、団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-5、重点取組、文化財に関するホームページの充実、内容、文化財に関する情報、必要な手続き、その他関連情報などを発信するため、市ホームページの充実を図ります。また、市内に所在する指定等文化財の情報及び周知の埋蔵文化財包蔵地の情報を閲覧できる「文化財ハマSite」の内容の充実を図るほか、文化庁が管理運営する「文化遺産オンライン」を活用するなど、市域の文化財の情報発信を効果的に進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、実施期間令和6年度から11年度。 ◆施策12:連携事業の推進と人材育成  文化財の保存・活用に関する連携・協働事業を推進し、それらに関わる主体の把握や人材育成、ネットワーク構築を目指すとともに、庁内においても連携を図りながら事業を推進し、文化財の保存・活用の体制を構築します。 指標、市歴史博物館における区・地域との連携事業の実施数、令和4年度 年11件、令和11年度 年14件 番号12-1、重点取組、博物館における連携事業の推進と人材育成、内容、横浜の歴史文化に関する専門性やノウハウ、ネットワークなどを有する博物館* を中心に、多様な主体との連携事業を進め、歴史文化に関わる人材の育成や相互につながるネットワーク構築を目指します。実施主体、主体は団体、行政、参画は所有、専門、市民、教育、実施期間令和6年度から11年度。 番号12-2、地域の歴史文化を次世代に伝える連携事業の推進と人材育成、内容、市民が主体となって、地域の歴史文化やまちの魅力を発信する企画講座の開催等を通して、地域の歴史文化を次世代に伝える人材を育成します。実施主体、主体は市民、団体、参画は所有、市民、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号12-3、重点取組、文化財行政を担う職員の人材育成、内容、文化財を担当する職員が、国や県が実施する文化財に関する研修の受講等を通して、文化財の保存・活用に必要な知識・スキルを身に付け、文化財の保存活用や各主体との連携を円滑に行えるよう、人材育成を進めます。実施主体、主体は行政、参画は専門、団体、実施期間令和6年度から11年度。 【60ページ】 第6章 文化財の総合的・一体的な保存・活用  本章では、文化財の総合的な保存・活用を進めるため、横浜の多種多様な文化財を、特定のテーマごとに捉えた「関連文化財群」と、文化財が集中する特定の区域において、その周辺環境も含めて一体的に保存・活用を図る「文化財保存活用区域」について記述します。 1節 総合的・一体的な保存・活用  本市には、幅広い時代の多様な文化財が市域にわたり所在しています。これまでの文化財の保存・活用の取組は、法や条例に基づく文化財の指定・登録や、個々の建造物の活用、史跡の整備など、それぞれの分野において、文化財をいわば「点」として捉えたものが中心でした。  本計画では、第5章で示した、文化財の保存・活用に関する施策に加え、本市の文化財や歴史文化の価値や魅力をさらに高め、効果的に保存・活用を進めるため、市域の文化財を一体的に捉えた総合的な保存・活用にも取り組んでいきます。  取組を進めるにあたっては、市域の文化財や各地域の特性などをふまえて「関連文化財群」と「文化財保存活用区域」を設定します。 2節 関連文化財群-9つのストーリーと構成する文化財- ①関連文化財群の目的  関連文化財群とは、横浜の多種多様な文化財を歴史文化の特徴に基づくテーマやストーリーに沿って、一定のまとまりとして捉えたものです。本計画では、この関連文化財群を設定し、それぞれがもつストーリーを通じて横浜の魅力や価値をわかりやすく示すことを目的とします。 【61ページ】 ②関連文化財群の設定の考え方 ◆歴史文化の特徴と9つのストーリー  横浜市の歴史文化の特徴をわかりやすく伝えていくための手法として、「9つのストーリー」を設定しました。ストーリーによって、市域に点在する文化財に一体性が生まれ、普及啓発や情報発信などを総合的・一体的にすすめることが期待できます。 ◆9つのストーリーを構成する文化財  各ストーリーでは、そのストーリーを語る上で必要となる文化財を構成要素として設定します。構成要素の設定にあたっては、次の1~3のいずれかを満たすものとします。  本計画に記載する構成要素は、計画作成時(2023(令和5)年度時点)に抽出したものを資料編に掲載していますが、今後行われる調査や、指定・登録等により、随時更新していくこととします。 構成要素として抽出する条件 1 文化財保護法や条例に基づく指定等文化財で、各ストーリーに関連性の高いもの 2 歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく認定歴史的建造物で、各ストーリーに関連性の高いもの 3 上記1、2のように指定等の価値づけがされていないものの、調査等により、歴史的背景や価値、存在が把握され、各ストーリーに関連性が高いもの 【62ページ】 1 海と川とともに暮らした先史から古代の人々 ◆ストーリー  縄文時代の人々が貝殻を含む食料の残さや生活道具などを捨てたものが積み重なった遺跡である「貝塚」は、横浜でも多く発見されています。横浜で発見された「貝塚」を訪れると、海から離れた場所であることに、多くの人が驚きます。これは、約7,000年前に地球の温暖化で海水面が上昇したことで、海岸線が内陸に進入し、現在の港北区、都筑区、緑区、戸塚区にまでも海岸線が入り込んでいたためです。その後の寒冷化で海は引き、弥生時代以降は、河川流域の沖積低地に水田が営まれ、生活の場が川沿いに移っていきます。その後、川の流域ごとにできた集落が、政治的に統合されながら、古墳時代が始まり、やがて古代律令社会へと移行していきます。  横浜市では、「海」や「川」とともに暮らした先史・古代の人々の様子を、発掘調査によって発見された数々の遺跡から知ることができます。また、国指定史跡である三殿台遺跡、大塚・歳勝土遺跡では、当時の集落が復元整備され、2,000年前の稲作開始期の歴史を身近に感じることができる場所として市民に親しまれています。 ○貝塚からみた縄文時代の集落  横浜で最も古い縄文時代早期の野島貝塚では干潟に生息するマガキが主に検出されることから、当時の平潟湾で多く採集されていたことがわかります。縄文海進以降、鶴見川流域の南堀貝塚に代表されるように墓域を中心として居住域が巡る集落が出現し、縄文時代中期の環状集落へと展開していきます。縄文時代後期には集落が減少する中、平潟湾を臨む称名寺貝塚では埋葬された人骨が多数発見されています。 ○稲作の伝播と農耕社会の成立  横浜では弥生時代中期に稲作が伝播し、集落が増加します。国指定史跡である三殿台遺跡と大塚・歳勝土遺跡は、稲作導入期の集落景観が保存・復元され、市民の歴史学習に役立てられています。弥生時代後期以降、鉄器が普及して集落が激増し、市北東部の日吉台遺跡群のような巨大集落へと拡大します。こうした中核地域に、古墳時代前期に南武蔵を治めた大首長の墓、観音松古墳が築造されます。 ○河川流域ごとの政治統合と古墳の築造  古墳時代は流域ごとに政治領域が形成され、鶴見川下流域には観音松古墳や駒岡古墳群、鶴見川上流域には稲荷前古墳群や朝光寺原古墳群、南西部の相模の領域には、上矢部富士山古墳や七石山横穴古墳群などが築造されています。これらの政治領域はのちの古代の郡の領域に発展しますが、このうち北西部の武蔵国都筑郡については発掘調査によって郡家跡が明らかになっています(長者原遺跡)。 【63ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、野島貝塚、区分、市指定、種別、遺跡(史跡)、概要、縄文時代早期の遺跡。縄文時代早期後半に位置付けられる野島式土器の標式遺跡。 地図上掲載番号②、三ッ沢貝塚、区分、市登録、種別、史跡、概要、縄文時代後期の遺跡。明治38(1905)年、N.G. マンローによりトレンチ調査が行われる。 地図上掲載番号③、三殿台遺跡、区分、国指定、種別、遺跡(史跡)、概要、縄文・弥生・古墳の三時代にまたがる集落の複合遺跡。1961(昭和36)年という早い時期に全面発掘調査された、学史に残る横浜を代表する集落遺跡。 地図上掲載番号④、大塚・歳勝土遺跡、区分、国指定、種別、遺跡(史跡)、概要、港北ニュータウンの開発に伴って全面発掘調査され、稲作開始期の環濠集落がほぼ完全な形で発見された。 地図上掲載番号⑤、稲荷前古墳群、区分、県指定、種別、遺跡(史跡)、概要、鶴見川上流域に築造された、古墳時代前期~後期の古墳群。珍しく様々な墳形が一つの古墳群の中に集まっており、「古墳の博物館」と呼ばれた。 地図上掲載番号⑥、朝光寺原古墳群出土遺物一括、区分、市指定、種別、考古資料、概要、朝光寺原遺跡の中に築造された5~6世紀の3基の大型円墳。甲冑や兜など武人的な性格を表す副葬品が良好な状態で出土した。 地図上掲載番号⑦、上矢部町富士山古墳出土品一括、区分、市指定、種別、考古資料、概要、柏尾川流域に築造された後期古墳。人物埴輪など多くの形象埴輪が出土し、横浜の古墳の埴輪で最も充実した内容を備える。 地図上掲載番号⑧、七石山横穴墓群、区分、市登録、種別、史跡、概要、横浜最南部のいたち川流域の横穴墓群。鎌倉地域に特徴的な棺室構造をもつ。7群75基を数える、横浜最大規模の横穴墓群。 地図上掲載番号⑨、元町貝塚、区分、市指定、種別、遺跡(史跡)、概要、アメリカ山公園内に良好な状態で保存されており、市内で、数少ない縄文時代前期から中期初頭にかけての貝塚として貴重。 地図上掲載番号⑩、師岡貝塚、区分、市指定、種別、遺跡(史跡)、概要、縄文海進によって形成された古鶴見湾岸に分布する縄文時代前期貝塚群のうち保存状態が良好で、市域で類例の少ない中期前半の貝塚。 【64ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■発掘調査の成果を十分に活用できていない。 ■遺跡や史跡の公開に必要な施設・設備等の老朽化への対応、適切な維持管理が必要。 方針 ■先史から古代の人々の暮らしを、発掘調査等で発見された出土品や遺跡の公開、情報発信等を通じて、市民や来街者に分かりやすく伝えます。 ■発掘調査によって記録保存された遺構のデータや出土品を学校教育等で活用し、学びの 充実につなげます。 ■遺跡や史跡の公開に必要な整備・維持管理を継続的に行います。 ◆関連する主な取組※17 番号2-1-1、重点取組、出土文化財の再整理、内容、発掘調査等による出土文化財を適正に保管するため、出土文化財の再整理を進めます。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号3-3-1、保存(保全)活用計画の作成の推進、内容、国史跡三殿台遺跡の保存活用計画の策定に向けて検討をすすめます。実施主体、主体は所有、行政、参画は専門、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-2-1、市内の史跡等の公開・管理、内容、国史跡大塚・歳勝土遺跡、県指定史跡市ケ尾横穴古墳群、県指定史跡稲荷前古墳群、南堀貝塚、上行寺東遺跡復元整備地等史跡等の維持管理や必要な整備を行い、公開します。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-3-1、文化財を活用した学校教育への支援、内容、市内の発掘調査等による出土文化財、様々な文化財の活用を通じて、子どもが歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。実施主体、主体は行政、参画は専門、団体、教育、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-1、主な取組、関連文化財群を活用した情報発信、広報 内容、「海と川とともに暮らした先史から古代の人々」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※17 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【65ページ】 2 武家社会下の交易・交通と文化 ◆ストーリー  12世紀から19世紀まで続く武家社会によって、横浜を取り巻く状況は大きく変わりました。鎌倉が東国の中心地となった鎌倉時代、小机城(港北区)が小田原北条氏の支配下に入った戦国時代、江戸が日本社会の実質的中心地となった江戸時代において、横浜市域は常に政治や経済の中心に近接し続けました。  各時代には、中心地と地方を結ぶ「道」(海の道、川の道、陸の道)や「駅」(津、河岸、宿場)が繁栄し、横浜でも、鎌倉時代は鎌倉道や六浦津、室町・戦国時代には神奈川湊が盛んに利用されていきました。  その後、江戸時代に入り社会が安定したことで、東海道をはじめとする街道を多くの物や人が行き交い、経済や文化などが発展しました。 ○鎌倉開府による文化の伝播と六浦津を通じた交易・文化の隆盛  鎌倉開府以降、関東各地から鎌倉に向かう道は繫栄し、鎌倉と六浦津をつなぐ「六浦道(金沢道)」は、海を越えて人や物を鎌倉に運びました。道や津は周辺地域にも様々な影響をもたらし、鎌倉北側の栄区や戸塚区、東側の金沢区など鎌倉道沿いには、平安末から鎌倉初期の仏像彫刻や仏教絵画が多く伝わります。また鎌倉時代に金沢北条氏が創建した称名寺(金沢区)には、鎌倉時代以後も国内外から僧侶や文化人が多く集い、学問と文化の拠点となりました。一方、鎌倉道は戦いの舞台にもなり、「畠山重忠古戦場(旭区)」などが今に伝わります。 ○鶴見川流域に展開された城郭  15世紀半ば以降、戦乱の常態化する戦国時代に、鶴見川流域には茅ケ崎城(都筑区)をはじめとする多くの城郭が造られます。中でも小机城は玉縄城(鎌倉市)等とともに、小田原北条氏の支配拠点の一つとなりました。小机城は、神奈川湊(神奈川区)から神奈川道や鶴見川を経由して各地に物資が運搬される要衝に位置しており、小机城を中心とした領域は、小机領と称されて、現代に至るまで、小机三十三観音巡りなどの宗教文化として残っています。 ○江戸時代における街道・湊の発展と人々の賑わい  江戸時代の市域には主要幹線道路である五街道の一つの東海道、それに次ぐ脇往還の中原街道、矢倉沢往還が通っていました。各街道には東海道の3宿(神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿)をはじめ宿場が置かれました。当初は政治的に整備された街道ですが、社会の安定により交通、交易が活発になりました。湊であり宿場でもあった神奈川は、陸と海の交差点として発展し、開港期以降の横浜の礎となりました。また、保土ケ谷宿からは名勝地金沢八景へ続く道が、戸塚宿付近では鎌倉や大山へ向かう道が分岐し、それぞれ道標が残ります。矢倉沢往還は大山街道とも称され、大山に参詣する信仰・行楽の道となります。街道や宿場には庶民の旅文化を示す文化財が伝わります。 【66ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、称名寺境内、区分、国指定、種別、遺跡(史跡)、概要、金沢北条氏一門の菩提寺。北条実時が居館内に建てた持仏堂が起源といわれる。発掘調査成果と「称名寺絵図」を元に、平橋・反橋が復元され、庭園の復元的整備が行われた。 地図上掲載番号②、朝夷奈切通、区分、国指定、種別、遺跡(史跡)、概要、鎌倉七口の一つである峠道(道路遺構)。鎌倉と金沢(六浦津)をつなぐ。 地図上掲載番号③、絹本著色北条実時像、絹本著色北条顕時像、絹本著色金沢実顕像、絹本著色金沢貞将像、附 絹本著色顕弁像、区分、国指定(国宝)、種別、絵画、概要、四将像の名で金沢北条氏の菩提寺、称名寺に伝わったもので、歴史上著名な武人の一門四代にわたる肖像画として、文化史的にもきわめて価値が高い。 地図上掲載番号④、文選集注、区分、国指定(国宝)、種別、書跡・典籍、概要、金沢文庫に保管されている、称名寺伝来の「文選集注」19巻本。日本で平安時代に書写されたものとみられる。 地図上掲載番号⑤、茅ケ崎城址、区分、市指定、種別、遺跡(史跡)、概要、15世紀後半に築城された。1590(天正18)年の後北条氏滅亡とともに廃城となったとみられる。 地図上掲載番号⑥、小机城跡、区分、無し、種別、遺跡※18、概要、正確な築城年代は不明。1590(天正18)年、豊臣秀吉による小田原攻め後、徳川家康の関東移封によって廃城となる。 脚注※18 種別にて「※18」を記載の種別は、計画作成時点で想定できるもの 地図上掲載番号⑦、東海道戸塚宿見付跡、区分、市登録、種別、遺跡(史跡)、概要、見付は宿の入り口の標識。市域に現存するのは上方見付のみ。 地図上掲載番号⑧、品濃一里塚、区分、県指定、種別、遺跡(史跡)、概要、日本橋から9番目の一里塚で、保土ケ谷宿と戸塚宿の間に位置する。旧東海道をはさんでほぼ東西に2つの塚があり、地元では一里山と呼ばれていた。 地図上掲載番号⑨、境木地蔵境内、区分、市登録、種別、史跡、概要、東海道のうち保土ケ谷宿に属する。保土ケ谷宿・戸塚宿どちらからも難所の坂を登った先の平地に地蔵堂があり、憩いの場となって地蔵信仰でにぎわった。地蔵堂は再建されたが昔の面影が残る。 地図上掲載番号⑩、長津田宿常夜燈、区分、市登録、種別、史跡、概要、矢倉沢往還(大山街道)にある長津田宿にある。うち上宿常夜燈は1843(天保14)年に宿中の秋葉山講中によって、下宿常夜燈は、1817(文化14)年に、宿中の大山講中によって建てられた。 【67ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■史跡の公開に必要な施設・設備等の老朽化への対応、適切な維持管理が必要。 方針 ■開港期以降の横浜の発展の基盤となった、12世紀から19世紀に続いた武家社会下の繁栄を、取組を通じてわかりやすく伝え、地域の歴史文化を身近に感じる機会を創出します。 ■文化財と道を関連付けた取組等を通じて、地域活動の活性化につなげます。 ■記録保存された遺構のデータや出土品を、学校教育等に活用し、学びの充実につなげます。 ■史跡の保存・活用に必要な整備・維持管理を継続的に行うとともに、調査成果をふまえた保存・活用の方向性についての検討も進めます。 ◆関連する主な取組※19 番号2-4-1、小机城跡の保存・活用の方向性の検討、内容、令和3年度、4年度に実施した小机城跡の発掘調査の成果をふまえ、今後の保存・活用の方向性について検討を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、専門、市民、団体、教育、実施期間令和6年度から11年度。 番号4-3-1、重点取組、国史跡称名寺境内、国史跡朝夷奈切通の崖地対策工事等の実施、内容、国史跡称名寺境内、国史跡朝夷奈切通の範囲内において、文化財的価値に配慮しながら、崖地の安全対策を計画的に進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、専門、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-2-2、国史跡称名寺境内の公開・管理、内容、国史跡称名寺境内の維持管理や必要な整備を行い、公開します。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-3-1、文化財を活用した学校教育への支援、内容、市内の発掘調査等による出土文化財や、様々な文化財の活用を通じて、子どもが歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。実施主体、主体は教育、行政、参画は専門、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号7-3、再掲、地域の文化財を活用したイベント等の実施、散策ルートの設定や案内板の整備、内容、地域の文化財を活かしたイベント等の実施、散策ルートの設定・活用や案内板の整備などを行います。実施主体、主体は団体、行政、参画は市民、団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-2、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「武家社会下の交易・交通と文化」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※19 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【68ページ】 3 横浜開港 ―国際貿易港のあゆみ― ◆ストーリー  日米和親条約の締結地となった横浜村は、1859年7月1日(安政6年6月2日)の開港をきっかけに、国際貿易都市として急速な発展を遂げていきます。開港場には、波止場を中心に運上所(税関)や町会所(行政機関)、銀行、外国商館などが次々と建設され、関内地区は横浜の政治・経済の中心地として発展していきました。  開港当初、小さな二本の突堤から始まった横浜港は、明治時代に実施された二度の築港工事を経て、大正時代初めには鉄製桟橋や繋船岸壁、船渠(ドック)、クレーンなどの近代設備を備えた港湾へと発展し、関東大震災後も拡張を続けました。  横浜港は、国内外の人・もの・文化が行き交う日本の玄関口となり、海外の様々な文物がもたらされる一方で、横浜写真や眞葛焼など外国人向けの土産物や工芸品も、横浜港から海外へ渡っていきました。 ○政治・経済の中心地、関内  国際貿易に携わる内外貿易商たちの商館や倉庫をはじめ、税関・行政機関・銀行などが建設された関内地区は、政治・経済の中心地として発展します。これらの施設のうち横浜税関(1934(昭和9)年、国登録文化財)、神奈川県庁(1928(昭和3)年、国重要文化財)、旧横浜正金銀行本店本館(現・神奈川県立歴史博物館、1905(明治38)年、国重要文化財)などが現存するほか、横浜町会所(1874(明治7)年)の跡地には、開港50周年記念事業として開港記念横浜会館(現・横浜市開港記念会館、1917(大正6)年、国重要文化財)が建設されました。 ○波止場から近代港湾へ  国際貿易を支える港の機能は、開港当初の小さな波止場から、大正時代初めには、東洋一と称されるまでに大きく発展しました。幕末に築造された象の鼻防波堤(2009(平成21)年復元)のほか、旧横浜船渠株式会社第一号、第二号ドック(1896~1898(明治29~31)年、国重要文化財)、赤レンガ倉庫(1911(明治44)~1913(大正2)年、市認定歴史的建造物)、旧臨港線護岸(市認定歴史的建造物)、ハンマーヘッドクレーン(1914(大正3)年)などの文化財が、当初の役割を終えたあとも商業施設や遊歩道などの形で活用されています。 ○横浜から世界へ  横浜は、西洋の技術・文化と在来の技術・文化が出会う場所でした。西洋の写真技術に伝統的な蒔絵や絵付けの技術が融合した「横浜写真」は、海外への横浜土産として好評を博し、また芝山漆器や眞葛焼などの横浜独自の美術工芸品も花開いて、海外へと輸出されました。 【69ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、日米和親条約締結の地、区分、市登録、種別、史跡、概要、1854(安政元)年にペリーが幕府と日米和親条約を締結した応接所の一帯。現在は開港広場として整備。 地図上掲載番号②、玉楠(日米和親条約締結の地に残るタブノキ)、区分、市登録、種別、史跡、概要、横浜開港資料館の中庭に残るタブノキ。日米和親条約が締結された応接所近傍に所在し、二度の大火を経ながらその都度再生して現在に至る。 地図上掲載番号③、神奈川県庁本庁舎、区分、国指定、種別、建造物、概要、関東大震災で焼失した旧庁舎を再建。中央に寺院風の塔をもつ。横浜三塔の「キングの塔」。設計小尾嘉郎。1928(昭和3)年竣工。 地図上掲載番号④、横浜税関本関庁舎、区分、市認定、種別、近代建築、概要、関東大震災により先代庁舎が焼失したため現在地へ移転された、イスラム風の緑青色ドーム屋根の塔をもつ税関庁舎。横浜三塔の「クイーンの塔」。設計は大蔵省営繕管財局(担当:吉武東里)。1934(昭和9)年竣工。 地図上掲載番号⑤、横浜市開港記念会館、区分、国指定、種別、建造物、概要、開港50周年記念事業として建設された煉瓦造の公会堂。横浜三塔の「ジャックの塔」。関東大震災の揺れにも耐え、平成元年に創建当時のドーム屋根を復元。1917(大正6)年竣工。 地図上掲載番号⑥、旧横浜正金銀行本店本館、区分、国指定、種別、建造物・遺跡(史跡)、概要、貿易金融を専門として設立された銀行。現在の建物は1905(明治38)年竣工の煉瓦造建築で角にドームを冠したネオバロック様式。設計妻木頼黄。現在は神奈川県立歴史博物館として活用。敷地は国指定史跡。 地図上掲載番号⑦、旧長濱検疫所一号停留所(厚生労働省横浜検疫所検疫資料館)、区分、国登録、種別、建造物、概要、日本の検疫施設最古の遺構の一つ。旧長濱検疫所の上等船客用の停留施設として1895(明治28)年に完成。 地図上掲載番号⑧、旧横浜船渠株式会社第一号船渠・旧横浜船渠株式会社二号船渠、区分、国指定、種別、建造物、概要、船舶の修繕施設として築造された2基の石造ドック。基本設計はイギリス人技師パーマーで、実施設計は恒川柳作。2号ドックは一度解体ののち現在地に再現したもの。 地図上掲載番号⑨、赤レンガ倉庫、区分、市認定、種別、近代建築、概要、新港埠頭の保税倉庫として建設された2棟の煉瓦造倉庫。「赤レンガ倉庫活用事業について(方針決定)」にて「港の賑わいと文化を創造する空間」と定め、2002(平成14)年4月に文化・商業施設として生まれ変わった。1号倉庫は主に文化施設、2号倉庫は商業施設、2棟間広場は倉庫と一体的な賑わいの演出空間として活用している。 地図上掲載番号⑩、横浜税関遺構鉄軌道及び転車台、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、かつての税関構内に敷かれていた荷役用の鉄道遺構。1895~96(明治28~29)年に竣工したが関東大震災後に廃棄され、2008(平成20)年の象の鼻パーク整備中に遺構が発見され保全整備された。 【70ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■文化財の価値に応じた保存、価値に配慮した活用が必要。 方針 ■1859(安政6)年の開港を契機に国際貿易都市として発展を遂げた横浜港のあゆみを、市民や来街者にわかりやすく伝え、横浜の歴史文化を身近に感じる機会を創出します。 ■多様な主体と連携した活用を進め、歴史を生かした都市空間の形成や賑わいの創出に つなげます。 ◆関連する主な取組※20 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-1、再掲、重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化、内容、日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として定着させることを目指します。実施主体、主体は団体、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-3、再掲、重点取組、横浜港に関する文化財を活用した賑わい創出、内容、1859(安政6)年の開港を契機に、都心臨海部に集積する横浜港に関する文化財の活用を通じて、市民や来街者が、横浜港の様々な魅力について、見て、触れ、学び、楽しめる機会を創出するとともに、街歩きを楽しみながら港の歴史を感じられる機会を創出し、港周辺の回遊性を高めます。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-3、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「横浜開港」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※20 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【71ページ】 4 シルクがもたらした反映 ◆ストーリー  開港以降、明治期を通じて横浜の輸出貿易を支えたのが生糸でした。信州や上州を中心に各地で生産された生糸は、「絹の道」と呼ばれた街道や鉄道を通じて横浜港へと運ばれ、国内の売込商たちを通じて海外へと輸出されました。生糸貿易は横浜発展の大きな原動力となり、生糸貿易で財をなした実業家たちは、横浜の政治・経済・文化の各方面で影響力を持つようになります。  また生糸貿易の発展は、貿易に携わる実業家たちだけでなく、周辺部の農家にも大きな影響を及ぼし、鎌倉郡・橘樹郡・都筑郡など当時の郡部では、明治10年代以降、養蚕や製糸が盛んに行われました。 ○生糸検査所とその関連施設  開港当初、産地から横浜へ運ばれた生糸は、国内の売込商を介して外国商館に直接持ち込まれていました。1896(明治29)年には、輸出生糸の品質管理のため、国の機関である横浜生糸検査所が本町通りに設けられますが、関東大震災で被災してしまいます。震災後、生糸検査所とその関連施設(事務所・倉庫)は北仲通に新築移転し、一帯は一大シルクセンターの様相を呈しました。現在、これらの施設の一部は、北仲通北地区の再開発事業の中で保存・活用されています。 ○実業家原富太郎と三溪園  生糸貿易で財をなした実業家の一人が原富太郎(1868-1939)です。本牧三之谷(中区)の地に設けた自邸の庭園に、京都や鎌倉などから古建築を移築し、1906(明治39)年に「三溪園」として市民に公開しました。現在、臨春閣や聴秋閣などの国指定重要文化財をはじめ、17棟の古建築が点在しています。また三溪の雅号をもつ原は、自らも美術品を蒐集し、若い美術家たちの活動を支援するなど、近代日本の芸術文化の振興に大きな役割を果たしました。 ○周辺郡部への養蚕・製糸業の広がり  生糸貿易の発展により、当時の郡部(鎌倉郡・橘樹郡・都筑郡)の農家では、養蚕や製糸が盛んに行われるようになりました。瀬谷区・泉区などには、養蚕・製糸業に携わっていた農家の古民家や蚕の供養塔など、当時の郡部への生糸貿易の影響を示す養蚕関係の文化財が残されています。 【72ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、旧横浜生糸検査所附属倉庫事務所、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、震災後に北仲通に建設された横浜生糸検査所の関連施設群の一つ(事務所棟)。一連の施設と同じく、設計は遠藤於菟。 地図上掲載番号②、三溪園、区分、国指定、種別、名勝地(名勝)、概要、実業家原富太郎が本牧三之谷の広大な邸内に整備した庭園。園内には京都や鎌倉から古建築が移築された。「三溪」は富太郎の雅号。 地図上掲載番号③、臨春閣、区分、国指定、種別、建造物、概要、1649(慶安2)年に建設された紀州徳川家の巌出御殿と推定される数寄屋風書院造の秀作。大阪に移築されていたものを、1917(大正6)年に三溪園に移築。 地図上掲載番号④、聴秋閣、区分、国指定、種別、建造物、概要、1623(元和9)年に二条城内に建てられ、のちに春日局に与えられたとされる楼閣建築の秀作。1922(大正11)年に三溪園に移築。 地図上掲載番号⑤、旧燈明寺三重塔、区分、国指定、種別、建造物、概要、1914(大正3)年に京都の燈明寺(現・木津川市)から移築。1457(康正3)年建築で、三溪園内の古建築で最も古い。 地図上掲載番号⑥、旧東慶寺仏殿、区分、国指定、種別、建造物、概要、縁切寺として知られる鎌倉の東慶寺にあった禅宗様の仏殿。江戸時代初め頃の建設。1907(明治40)年に三溪園へ移築。 地図上掲載番号⑦、旧原家住宅、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、原三溪の自邸として1902(明治35)年に建築。若い芸術家たちの創造の場としても利用された。2000(平成12)年に「鶴翔閣」として復元整備。 地図上掲載番号⑧、白雲邸、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、原三溪が夫人と暮らす隠居所として1920(大正9)年に建築。鉄筋コンクリート造の倉が併設される。 地図上掲載番号⑨、旧清水製糸場本館(天王森泉館)、区分、市認定、種別、古民家、概要、市内に残る唯一の製糸工場の遺構。元は清水一三が興した清水製糸場の本館として1911(明治44)年に竣工。この一部が移築され住宅となっていたが、1995(平成7)年に市が譲り受け屋敷地全体を公園として整備した。 地図上掲載番号⑩、蚕御霊神塔、区分、市登録、種別、有形民俗、概要、泉区の神明社内にある石造の慰霊碑。養蚕農家が蚕の供養として建てたもの。 【73ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■歴史文化を身近に感じる機会の創出が必要。 ■貴重な和の資源である三溪園において、新たな活用への需要が高まっている。 ■三溪園等、ストーリーを構成する文化財の老朽化から、将来世代への継承という観点で長期的な視点での維持管理が必要。 方針 ■生糸貿易の発展がもたらした繁栄に関する文化財をストーリーとともに一体的に捉え、市民や来訪者にわかりやすく伝えます。 ■古民家の公開や三溪園内での取組を通じて、横浜の歴史文化を身近に感じる機会や魅力を創出します。 ■貴重な和の観光資源である三渓園を磨き上げ、国内外からの誘客を促進します。 ◆関連する主な取組※21 番号8-4-1、公園内における歴史的建造物の公開・活用、内容、旧清水製糸場本館を公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-4、再掲、重点取組、三溪園における観光資源としての磨き上げ、内容、17万5千平米に及ぶ園内に、国の重要文化財等の歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置され、国の名勝にも指定されている「三溪園」において、季節に応じた催事の創意工夫や新たな魅力創出などに取り組み、観光資源としての磨き上げを行います。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-4、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「シルクがもたらした繁栄」に関する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※21 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【74ページ】 5 コスモポリタン都市 ―文化の交差点― ◆ストーリー  開港をきっかけに、横浜には国内外から多くの人々が移り住みました。外国人の居住と商売が認められた外国人居留地には、欧米諸国や中国から人々が進出しました。山下居留地には各国の商館が建ちならび、華僑の人々が集まり住んだ一画には、中心に関帝廟が設けられ、現在の中華街へと大きく発展しました。そして欧米系外国人の住宅地として発展した山手居留地では、彼らのコミュニティを支える諸施設(教会・学校・病院・墓地・公園など)が整備されました。  彼らの暮らしを通じてもたらされた海外の芸術・文化は、様々な「もののはじめ」として、横浜から国内へと広がっていきました。 ○居留外国人たちのコミュニティ  居留外国人の住宅地として発展した山手居留地には、公園(山手公園、1870(明治3)年)や墓地(横浜外国人墓地、1861(文久元)年)、病院(ジェネラル・ホスピタル、1867(慶応3)年)、学校(フェリス・セミナリー、1875(明治8)年)などが整備され、山手から続く根岸の丘には、社交場として競馬場(根岸競馬場、1866(慶応2)年)が設けられました。当初山下居留地に設けられていた教会(カトリック教会、1861(文久元)年12月)や劇場(パブリックホール、1870(明治3)年)も、明治半ばには山手へと移転します。これらの施設が建ちならぶ文教地区としての山手の景観は、震災等の被害を経ながらも、現在まで継承されています。  華僑のコミュニティを支える施設では、中国人墓地である中華義荘に地蔵王廟(1892(明治25)年)が現存しており、中国系の建築・工芸技術を伝えています。また戦後の1955(昭和30)年に、中華街で最初の牌楼(善隣門)が建てられ、ここに掲げられた「中華街」から現在の街の呼び名が定着しました。 ○横浜もののはじめ  海外文化の窓口となった横浜では、洋画・音楽・演劇などの芸術、テニス・競馬などのスポーツ、西洋料理・ビールなどの食文化など様々な分野で「もののはじめ」が誕生しました。これらの文化が摂取される過程では、堤磯右衛門による石けん製造のように、国産化されて広まったものもあります。 ○海外生活を支えた領事館  多国籍の人々が暮らす横浜には、海外での自国民の暮らしを支える各国の領事館施設が集まっていました。そのうち震災後に建てられた旧英国総領事館(現・横浜開港資料館旧館、1931(昭和6)年)や、英国総領事の住まいである総領事公邸(現・横浜市イギリス館、1937(昭和12)年)などが現存しています。 【75ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、ブラフ18番館、区分、市認定、種別、西洋館、概要、関東大震災後の1924(大正13)年に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏邸。1992(平成4)年に山手イタリア山庭園内に移築復元。 地図上掲載番号②、ベーリック・ホール、区分、市認定、種別、西洋館、概要、英国人貿易商ベリック氏の自邸としてJ.H. モーガンの設計で1930(昭和5)年に建てられた、スパニッシュスタイルの西洋館。山手の洋館では最大級の規模で、クリーム色の壁面やアーチ・飾り窓等が特徴。2002(平成14)年から元町公園の一部として公開。 地図上掲載番号③、山手111番館(旧ラフィン邸)、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、アメリカ人両替商のラフィン氏邸。設計者モーガンが得意としたスパニッシュ・スタイルの西洋館。1926(大正15)年竣工。 地図上掲載番号④、横浜市イギリ館、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、イギリス総領事の公邸として1937(昭和12)年に竣工。鉄筋コンクリート2階建て。設計は上海の大英工部総署。 地図上掲載番号⑤、山手公園、区分、国指定、種別、名勝地(名勝)、概要、1870(明治3)年に居留外国人によってつくられた洋式公園。テニス発祥の地となったほか、国内で初めてヒマラヤスギが植えられた。 地図上掲載番号⑥、旧根岸競馬場一等馬見所、区分、無し、種別、建造物※22、概要、居留外国人たちの社交場として根岸に設けられた競馬場の馬見所。現存する馬見所は1929(昭和4)年にモーガンの設計により再建されたもの。2棟の馬見所のうち1棟が残る。 地図上掲載番号⑦、地蔵王廟、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、華僑の墓地である中華義荘内に建てられた煉瓦造の廟。外壁には、螞蝗攀(まこうはん)と呼ばれる中国流の鋲が各所に打ち込まれる。1892(明治25)年竣工。 地図上掲載番号⑧、ビール製造発祥の地(ビール醸造所跡)、区分、市登録、種別、史跡、概要、明治3年に設立されたビール醸造所であるスプリング・ヴァレー・ブルワリーの跡地。現・キリン園公園。 "地図上掲載番号⑨、横浜開港資料館旧館(旧横浜英国総領事館)及び旧門番所、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、英国工務省の設計で建てられた旧英国総領事館。1931(昭和6)年竣工。旧門番所もあわせて現存。" 地図上掲載番号⑩、ヘボン邸跡、区分、市登録、種別、史跡、概要、ヘボンは幕末開港期に来日したアメリカ人。医師、宣教師、教育者として文明開花の日本に貢献。横浜居留地39番の邸跡に記念碑がある。 脚注※22 種別にて「※22」を記載の種別は、計画作成時点で想定できるもの 【76ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■まちづくり等と連携した取組が必要。 ■西洋館に代表される歴史的建造物の減少への対応が必要。 方針 ■開港を契機に、海外文化の交差点として発展した歴史を、市民や来街者にわかりやすく伝えます。 ■歴史を生かしたまちづくり等とも連携し、山手地区や関内地区の歴史的な建造物等の保存・活用を進め、歴史的な景観形成、魅力の維持向上を進めます。 ◆関連する主な取組※23 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-4-2、公園内における歴史的建造物の公開・活用、内容、西洋館などの歴史的建造物を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-1、再掲、重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化、内容、日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として定着させることを目指します。実施主体、主体は団体、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-5、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「コスモポリタン都市-文化の交差点-」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※23 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【77ページ】 6 近代都市を支えたインフラストラクチャー ◆ストーリー  横浜は、道路、上下水道、ガス、鉄道など都市インフラの整備において、国内の他都市に先行して近代技術が導入されてきました。  1866(慶応2)年の大火事(慶応の大火)を受けて、幕府は外国人居留地の改造計画に着手し、この計画は技師ブラントンの手によって、日本大通りや横浜公園として実現します。また1872(明治5)年には、日本で初めての鉄道が新橋-横浜間で開通し、横浜の街にガス灯が点灯しました。そして1887(明治20)年には、技師パーマーの設計により、鉄管給水による日本初の近代水道が創設されます。  洋風建築が多く建てられた横浜では、建設材料の近代化も進みました。山手居留地では、実業家ジェラールが煉瓦や西洋瓦の製造販売を手がけ、中でもジェラール瓦と呼ばれた西洋瓦は横浜や東京を中心に流通しました。 ○ブラントンと都市インフラの近代化  近代都市横浜の発展を支えたのは、近世の新田開発によって生まれた吉田新田でした。開港以降、多くの商人・職人や港湾労働者が移り住んだ横浜は、港の後背地に広がる新田を埋め立てることで市街地を拡大し、現在の関内・関外が形成されました。  関内地区の原形は、明治時代初めに形づくられます。技師ブラントンの設計により、外国人居留地にマカダム舗装道路と下水道が整備され、さらに防火道路である日本大通りと横浜公園が完成することで、これらを境に外国人居留地と日本人市街が二分される都市構造が生まれました。 ○文明開化のまちづくり  1872(明治5)年10月14日、日本で最初の鉄道が新橋-横浜間に開通し、同じ年の10月31日、日本で最初のガス会社が横浜で操業を開始し、横浜の街にガス灯がともされました。この二つの事業に関わっていたのが、実業家の高島嘉右衛門です。高島は鉄道用地の埋立てやガス工場の建設を手がけるなど、文明開化期の横浜のまちづくりに大きな役割を果たしました。その功績は高島町や高島台などの地名に残されています。 ○横浜生まれの西洋瓦  幕末に横浜で開業したフランス人実業家のジェラールは、山手の湧き水をもとに船舶給水事業を興すとともに、建設材料である煉瓦や瓦、土管などの製造販売を手がけていました。中でも洋風建築の屋根瓦として用いられた西洋瓦(ジェラール瓦)は、横浜や東京を中心に流通していたことが、出土遺物等から判明しています。 【78ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、日本大通り、区分、国登録、種別、名勝地、概要、1866(慶応2)年の大火で日本人街から外国人居留地へ燃え広がったことを受け延焼遮断帯として整備された国内初の西洋式街路。設計はR.H. ブラントン。2002(平成14)年に再整備され、歩道拡幅やストリートファニチャー設置等が行われた。 地図上掲載番号②、横浜公園、区分、国登録、種別、名勝地、概要、ブラントン設計。居留外国人と日本人の双方が使用できる「彼我公園」として整備。 地図上掲載番号③、旧横浜居留地煉瓦造下水道マンホール、区分、国登録、種別、建造物、概要、明治10年代半ばに神奈川県技師三田善太郎の設計により外国人居留地に敷設された煉瓦造下水道設備の一つ。 地図上掲載番号④、ジェラール水屋敷地下貯水槽、区分、国登録、種別、建造物、概要、瓦製造業と船舶給水業を営んでいた実業家ジェラールの瓦工場に設けられていた煉瓦造の地下貯水槽。 地図上掲載番号⑤、近代水道発祥の地(日本最初の貯水場跡)、区分、市登録、種別、史跡、概要、技師パーマーの設計により近代水道が開通した際に建設された野毛山貯水池の跡地。現・野毛山公園内。 地図上掲載番号⑥、日本最初のガス会社跡、区分、市登録、種別、史跡、概要、実業家高島嘉右衛門が興した横浜瓦斯会社の跡地。現・横浜市立本町小学校に所在。 地図上掲載番号⑦、旧臨港線護岸、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、明治初期に横浜駅(現・桜木町駅)と新港埠頭をつなぐ臨港貨物線を渡すために建造された人工島。1910(明治43)年竣工。1997(平成9)年に遊歩道「汽車道」として整備。 地図上掲載番号⑧、港一号橋梁・港二号橋梁、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、7の臨港貨物線の人工島を渡すための鉄道橋。1907(明治40)年にアメリカン・ブリッジ社により製作され、1909(明治42)年に架設された。1997(平成9)年に遊歩道「汽車道」の一部として活用するよう整備。 地図上掲載番号⑨、港三号橋梁(旧大岡川橋梁)、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、元は1906(明治39)年に北海道の夕張川に架設された橋梁。旧横浜生糸検査所の引込線架設に伴い1928(昭和3)年に大岡川へ移設された。1997(平成9)年の遊歩道「汽車道」整備に際し、現在位置へ移設保全された。 地図上掲載番号⑩、吉田橋関門跡、区分、市登録、種別、史跡、概要、1869(明治2)年にブラントンの設計により開港場への関門として架けられた鉄橋「吉田橋」の跡地。 【79ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■まちづくり等と連携した取組が必要。 方針 ■国内の他都市に先行して近代技術が導入され、近代都市の基盤となった歴史を、市民や来街者にわかりやすく伝えます。 ■歴史を生かしたまちづくり等と連携し、歴史的な景観形成、魅力の維持向上を進めます。 関連する主な取組※24 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-6、重点取組、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「近代都市を支えたインフラストラクチャー」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※24 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【80ページ】 7 焼け跡から二度よみがえった都市 ◆ストーリー  横浜は、1923(大正12)年の関東大震災、1945(昭和20)年の横浜大空襲という二度にわたる災禍を乗り越えて、発展してきました。  関東大震災では、開港以来の街並みが一日にして瓦礫の山と化しましたが、その後の震災復興事業と「大横浜」建設事業を通じて、昭和戦前期には現在につながる広域な都市の骨格が形成されます。都心部では耐震性と耐火性を備えた鉄筋コンクリート造の復興建築や復興橋梁の建設が進み、周辺部では鉄道各社の沿線開発によって郊外住宅が広がりました。  1945(昭和20)年の終戦後、中心部の施設の多くが占領軍による接収を受けたことで、横浜の戦災復興は大きく立ち遅れますが、昭和30年代には、国内の高度経済成長を背景に、横浜開港100周年を契機としてマリンタワーや横浜市庁舎、横浜文化体育館など公共施設の建設が進みました。 ○震災復興遺産  区画整理・街路整備・公園新設などからなる震災復興事業では、都心部の多くの建築が鉄筋コンクリートで復興され、横浜の都市景観を一変させました。現在横浜港周辺に残る多くの歴史的建造物は、この震災復興の時代に建てられたものです。1927(昭和2)年には、貿易再興のための外国人ホテルとしてホテルニューグランドが開業し、1930(昭和5)年には、震災の瓦礫を埋め立てて造成された山下公園が開園しました。 ○郊外住宅の誕生  昭和戦前期には、横浜駅が現在地へと移転したことを契機として、私鉄各線が横浜駅への乗り入れを果たし、横浜駅を拠点に郊外へと路線網を拡大します。沿線では住宅地開発が行われ、郊外から都心へ通勤するサラリーマン層の生活様式が確立するとともに、一間洋館を備えた郊外住宅が広がっていきました。 ○戦後の建築遺産  昭和20年代後半から徐々に接収解除が進む中、関内・関外地区では、街区全体の防火性能を高める防火建築帯(共同住宅+店舗・事務所)の建設が進みました。現在、これらは横浜固有の戦後建築遺産として、アーティストの活動拠点として活用する芸術不動産事業の取組が進められています。また戦後の露店商収容施設として建設された野毛都橋商店街ビル(1964(昭和39)年)は、戦後建築として初めて横浜市の歴史的建造物に登録されました。 【81ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、山下公園、区分、国登録、種別、名勝地、概要、関東大震災の瓦礫を埋め立てて造成された震災復興公園。日本最初の臨海公園。1930(昭和5)年開園。設計内務省復興局。 地図上掲載番号②、野毛山公園、区分、無し、種別、名勝地※25、概要、原家・茂木家の邸宅跡地に新設された震災復興公園。西洋式・日本式庭園を備える。1926(大正15)年一部開園。設計内務省復興局。 地図上掲載番号③、ホテルニューグランド本館、区分、市認定、種別、近代建築、概要、横浜を離れた外国人を呼び戻すため、震災後の復興事業の一環で1927(昭和2)年に設立されたホテル。国内でも希少なクラシックホテルであり、マッカーサーやベーブ・ルースが宿泊したことでも有名。設計は渡辺仁。 地図上掲載番号④、横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館)、区分、市認定、種別、近代建築、概要、震災後に横浜の商工業界の復興を目指して設立され、商工業製品の展示場や商工会議所として使われた。横浜市の設計で1929(昭和4)年に竣工、2000(平成12)年に横浜情報文化センター増築にあたり一部保存。 地図上掲載番号⑤、旧横浜市外電話局、区分、市認定、種別、近代建築、概要、1923(大正12)年竣工予定であった横浜中央電話局が震災で被災し再建されたものでタイルや大オーダー等が特徴。設計は横浜生まれの逓信技師の中山広吉。1929(昭和4)年竣工。現横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館。 地図上掲載番号⑥、打越橋、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、関東大震災後の復興事業として架けられた復興橋梁の一つ。市道(横浜駅根岸線)と立体交差する跨道橋。1928(昭和3)年竣工。設計横浜市土木局。 地図上掲載番号⑦、谷戸橋、区分、市認定、種別、土木産業遺構、概要、関東大震災後の復興事業として架けられた復興橋梁の一つ。1927(昭和2)年竣工。設計横浜市土木局。 地図上掲載番号⑧、中澤高枝邸、区分、市認定、種別、西洋館、概要、東急東横線日吉駅周辺の郊外住宅地に立つ洋風住宅。施主は外国航路客船の船員で日本郵船の客船浅間丸の機関長を務めたという。1933(昭和8)年竣工。 地図上掲載番号⑨、インド水塔、区分、市認定、種別、近代建築、概要、関東大震災時の救済への感謝の意として、インド商会組合から横浜市に寄贈された水塔。山下公園内に所在。1939(昭和14)年竣工。設計鷲巣昌。 地図上掲載番号⑩、神奈川県立図書館・音楽堂、区分、県指定、種別、建造物、概要、戦後まもない物資の乏しい時期に建設された公共文化施設。戦後モダニズム建築の最初期の代表作。設計前川國男。1954(昭和29)年竣工。 脚注※25 種別にて「※25」を記載の種別は、計画作成時点で想定できるもの 【82ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■まちづくり等との連携が必要。 方針 ■1923(大正12)年の関東大震災と1945(昭和20)年の横浜大空襲の二度にわたる災禍から復興を遂げた歴史を、市民や来街者にわかりやすく伝えます。 ■歴史を生かしたまちづくり等と連携し、歴史的な景観形成、魅力の維持向上を進めます。 ◆関連する主な取組※26 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-5、再掲、重点取組、震災復興橋梁の保全、内容、1923(大正12)年の関東大震災後、復興の礎として架けられた橋梁の文化財的価値を考慮し、計画的に保全していきます。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-6、再掲、遊休不動産の創造的活用(芸術不動産)、内容、主に関内・関外地区の遊休不動産のオーナーの方々と協働し、民設民営型の活動拠点を創造する芸術不動産事業を進めます。また、令和4年3月に改定した「芸術不動産ガイドブック」等により、遊休不動産の魅力的な活用事例を伝えます。実施主体、主体は団体、参画は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-7、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「焼け跡から二度よみがえった都市」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※26 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【83ページ】 8 谷戸・里山と横浜の原風景 ◆ストーリー  市域には、「谷戸」と呼ばれる丘陵地が複雑に入り組んだ地形が多くみられます。谷戸では古くから農業が営まれ、地形を生かした水田や農業用のため池及び水路がつくられてきました。  丘陵地を覆う竹林や雑木林は、肥料、燃料、生活用品を生産する場として活用され、人々が谷戸の環境と密接に関わりながら生活をし、多様な生き物が生育・生息する環境が生まれました。このような人と自然が関わる谷戸の環境は、「里山(里地里山)」と呼ばれ、谷戸の織り成す里山景観は横浜の魅力の一つとなっています。  現在は、生活様式の変化や、都市化によって、旧来の里山の多くは姿を消していますが、市内に残る里山は土地所有者や様々な市民活動によって支えられ、横浜の歴史文化を伝える貴重な環境となっています。  また、市内各所には、人々が暮らしてきた民家や、人々が使ってきた生活用具も伝えられています。 ○かつての暮らしと自然環境 -谷戸・里山の景観-  市域には、市街地に身近な農地がある景観、樹林地と田や畑が一体となった谷戸景観など、多様な農景観が広がっています。青葉区の寺家ふるさと村・寺家ふるさとの森や、戸塚区の舞岡ふるさと村・舞岡ふるさとの森・舞岡公園、新治市民の森・新治里山公園をはじめ、里山景観が残る地域があり、こうした空間は、生物多様性を保全するだけでなく、横浜の魅力的な景観の一つとして、市民生活に潤いをもたらす場にもなっています。  谷戸田の稲作を支える湧水やため池、小川は、様々な生き物が生息する場所であり、かつて生息していたミヤコタナゴは国の天然記念物として保護をしています。また、生物の多様性を伝える場所として各所で市民によって環境の保全が進められ、旭区のこども自然公園に生息しているゲンジボタルは、その生息地とともに横浜市の天然記念物に指定されています。 ○横浜の民家と民具  市域には、昔の暮らしを伝える民家や民具も多く残っています。約400年前に建てられた東日本で現存する最古級の民家といわれている関家住宅は、附属する建物のほか、周囲の山林や墓地、屋敷林などの敷地を含め、景観とともに国重要文化財に指定されています。また、江戸時代中期から近代にかけての多様な民家が市内で保存・活用されています。  横浜市歴史博物館には、火打ち石やツケギ等の発火具から、江戸時代のろうそくや灯明皿、明治時代のガス灯やランプ、そして電球に至るまで、あかりの変遷を伝える灯火具コレクション(市指定文化財)があります。同館の港北ニュータウン民俗資料や市内の学校資料館、横浜市八聖殿郷土資料館等にある民具は、農具や漁具をはじめ、衣食住等の様々な生活用具で構成され、谷戸と里山、海辺など、市域で営まれたかつての暮らしを現在に伝えています。 【84ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、寺家ふるさと村・寺家ふるさと村の森、区分、無し、種別、横浜ふるさと村、概要、1983(昭和58)年に「横浜ふるさと村」に指定。青葉区寺家町の里山と谷戸の水田、ため池等を生かして整備された。横浜の原風景と言える自然環境と農業の振興を進めている。 地図上掲載番号②、舞岡ふるさと村・舞岡ふるさとの森・舞岡公園、区分、無し、種別、横浜ふるさと村、概要、1990(平成2)年に「横浜ふるさと村」に指定。戸塚区舞岡の里山と谷戸の景観を保全するとともに、農業の振興、自然環境保護が進められている。舞岡公園内には戸塚区品濃町にあった「旧金子家住宅」(市認定)が移築され、活用されている。 地図上掲載番号③、旧金子家住宅主屋、区分、市認定、種別、古民家、概要、土台がすべてにまわり、整形四ツ間取りの明治後期の典型的な民家。戸塚区品濃町から舞岡公園内に移築復元され、農家の原風景的景観を醸し出している。 地図上掲載番号④、新治市民の森・新治里山公園、区分、無し、種別、市民の森、概要、緑区新治町の里山と谷戸を生かし、豊かな植生の保護や景観保全が進められている。新治里山公園内には、旧奥津家長屋門並びに土蔵(市認定)が所在し、主屋とともに活用されている。 地図上掲載番号⑤、旧奥津家長屋門並びに土蔵、区分、市認定、種別、古民家、概要、新治市民の森の北側に位置し、今でも里山の生活風景をよくとどめている。奥津氏が名主を勤めていた江戸末期に建てられた長屋門は当時の特徴である収納的機能を高めた形態をしている。 地図上掲載番号⑥、ミヤコタナゴ、区分、国指定、種別、天然記念物(動物)、概要、関東地方の一部に生息する日本固有種で、湧水を水源とする小河川や池に棲む。市内では絶滅したものとされていたが、1976(昭和51)年に都筑区勝田町で発見され、現在保護増殖を行っている。 地図上掲載番号⑦、こども自然公園のゲンジボタル及びその生息地、区分、市指定、種別、天然記念物(動物)、概要、日本固有の大型のホタルで、幼虫は水中に棲む。かつては市内各地で見られた。こども自然公園のゲンジボタルと生息地を市の天然記念物として指定している。 地図上掲載番号⑧、関家住宅、区分、国指定、種別、建造物、概要、関家は勝田村の名主や代官を務めた。主屋は東日本でも最古級。主屋、書院、長屋門のほか、周囲の敷地も指定され、景観保全がなされている。 地図上掲載番号⑨、旧長沢家住宅主屋及び馬屋、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、江戸時代中期に用いられた広間型の間取りを持つ牛久保村の名主の住宅で、18世紀後半の建築と推定される。 地図上掲載番号⑩、飯田家住宅、区分、市指定、種別、一般建造物、概要、飯田家は北綱島村の名主を務めた。主屋は1889(明治22)年、長屋門は江戸時代後期の建築である。南側に山を配し、周囲に濠をめぐらせた屋敷構えを持つ。 【85ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■かつての生活や自然を身近に感じる機会の創出が必要。 方針 ■緑豊かな自然環境の中で営まれてきた暮らしをわかりやすく伝えます。 ■昔のくらしや自然に触れる機会を創出し、学びの充実、地域の歴史文化への理解や愛着の醸成につなげます。 ■生き物の生息・生育環境の保全のほか、歴史文化、景観などの観点からも貴重な谷戸環境の保全を進めます。 ◆関連する主な取組※27 番号1-4、再掲、国天然記念物ミヤコタナゴ保護育成(個体数調査、生育環境調査等の実施)、内容、国指定天然記念物ミヤコタナゴの個体数減少を防ぐため、保護・増殖を行うとともに、野生復帰を目的とした生育環境調査を実施します。実施主体、主体は専門、行政、参画は専門、市民、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-3-2、文化財を活用した学校教育への支援、内容、地域に残る昔の民具等を活用し、子どもが地域の歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。実施主体、主体は行政、参画は専門、団体、教育、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-2、再掲、谷戸の原風景の保全、内容、ふるさと村、舞岡公園、新治里山公園を良好に維持し景観の保全を進めます。実施主体、主体は所有、団体、行政、参画は所有、市民、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-4-3、公園内における歴史的建造物の公開・活用、内容、古民家を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-8、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、「谷戸・里山と横浜の原風景」に関連する文化財をストーリーと共にわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※27 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【86ページ】 9 地域が育む祭礼・行事 ◆ストーリー  自然は豊作や大漁といった恵みを与えてくれる一方、時には大雨や日照り、大風などの厄災をもたらします。人々は神や仏に豊作や大漁、平穏無事を祈り、また災い除けや厄除けを願い、祭礼や行事を行ってきました。一年の農作物や天候を占う筒粥、厄災を海に流すお馬流しや祇園舟、歌に合わせて踊る厄災除けのお札まきなど、横浜市域には里に、海に、また街に、様々な祭礼や行事が伝えられています。神に奉納する神楽や豊作を祈る田祭りなど、神仏への祈願から誕生した様々な芸能は、人々を結びつけ、楽しませました。祈願や信仰が起源となる遊びや、信仰から生まれた行事も、暮らしの中に位置付けられてきました。  また、神社や寺院は神や仏を敬う人々にとって特別な場所でした。時代を超えて受け継がれてきたその意識は、境内の自然を長い間守り、保護することにつながり、市内には樹齢が数百年に及ぶ古木や、自然の姿を残す樹叢が伝えられています。 ○祭礼と行事  地域の厄災を海に流す中区本牧神社のお馬流しや金沢区富岡八幡宮の祇園舟は、東京湾が舞台となる漁師の祭りです。鶴見区生麦の蛇も蚊もは、かつては厄災を茅でつくった蛇に託して海に流しました。厄災を塞ぐため藁蛇を村境にかける港北区新羽町の注連引き百万遍、稲の害虫を村の外に追い払う都筑区南山田の虫送りなど、人々が厄や災いを如何に厭うかが伝わります。27種類の作物の一年間の豊凶を占う師岡熊野神社の筒粥、開運招福を願う人で賑わう南区大鷲神社の酉の市、また家々を廻る地蔵に子どもの成長や平穏を祈る鶴見川流域の廻り地蔵や下飯田の廻り地蔵、喘息などの咳除けを祈るオシャモジサマなど、豊年や平穏無事、病気の治療も人々の願いでした。 ○芸能と遊び  大釜に煮えたお湯で吉兆を占い、厄災を祓う湯立と神楽が結びついた金沢区瀬戸神社の湯立神楽は、祈祷の要素が表れた厳かな所作で進められます。日本神話を題材にした神代神楽は3社中が継承し、華やかな仮面の黙劇が見る者を楽しませます。東日本に分布する一人立三頭獅子舞は青葉区牛込の獅子舞や鉄の獅子舞として伝わるほか、お正月に親しまれている獅子舞も、お囃子とともに市内各地に伝わっています。ホンチ(くも合戦)は黒潮によって伝播した漁師の豊漁祈願という説があります。街頭紙芝居の源流は中世に盛んであった仏教説話画の絵解きです。庚申講や地神講などの信仰は、共同飲食を伴うお日待ちが人々のつながりを高める娯楽の場でもありました。 ○古木と樹叢  戸塚区の永勝寺にあるイヌマキは、横浜市で最も古い樹齢1,050年の古木です。瀬谷区日枝社のご神木であるケヤキは樹齢300年以上とされ、自然の樹形を保ってきました。また、久良岐山と呼ばれる南区宝生寺・弘誓院の寺林や日野中央公園の樹叢と一体をなす港南区春日神社の社叢林など、市街地化が進む中でも、神仏を敬う人々の意識によって貴重な自然林や樹叢が残されてきました。 【87ページ】 ◆ストーリーを構成する文化財の分布 ◆主な文化財 地図上掲載番号①、師岡熊野神社の筒粥、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、師岡熊野神社に伝わる粥を用いた年占で1月14日に行われる。早朝境内に据えた大釜に27本の葭の筒と米一升で粥を炊き、筒に入った粥の分量で豊凶を見る。 地図上掲載番号②、お馬流し、区分、県指定、種別、無形民俗、概要、8月上旬の土日に本牧神社で行われる。茅製で馬首亀体のお馬6体に旧本牧6か村の厄災を託し、東京湾に流す。2艘の木造祭礼船は厄災から逃れるように競争で戻る。 地図上掲載番号③、祇園舟、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、7月15日前後の日曜日に富岡八幡宮で行われ、青茅の舟に厄災を託し、東京湾の沖合に流す。麦秋の時期、初穂の麦を海に供え、五穀豊穣と豊漁に感謝する。 地図上掲載番号④、お札まき、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、7月14日に戸塚町八坂神社の夏の例祭に行われる。歌に合わせて踊り、渋うちわで五色のお札を天高くまきあげる。 地図上掲載番号⑤、蛇も蚊も、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、6月第1日曜日に生麦地区の原にある神明社と本宮にある道念稲荷社で行われる。「蛇も蚊も出たけ、日よりの雨け」と唱えながら、村中を回り、厄災除けと豊年大漁を祈願した。 地図上掲載番号⑥、鶴見川流域の廻り地蔵、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、一体の地蔵を地域の家から家へ順番に回し、各家で祀る行事。家での滞在期間は1週間から3年と、地区により違いがある。港北区新羽町三谷戸、都筑区池辺町薮根、同町八所谷戸、緑区白山で行われている。 地図上掲載番号⑦、湯立神楽、区分、市指定、種別、無形民俗、概要、瀬戸神社天王祭の3日目にあたる7月第2火曜日に行われ、瀬戸神社では「三つ目神楽」と呼ぶ。大釜に煮えたお湯で厄災を祓う湯立と、祈祷の要素が表れた厳かな所作の神楽が奉納される。 地図上掲載番号⑧、牛込の獅子舞、区分、県指定、種別、無形民俗、概要、青葉区あざみ野の神明社と新石川の驚神社で10月上旬の土日に行われる一人立三頭獅子舞。元禄年間に疫病流行の際伝えられたといわれている。 地図上掲載番号⑨、春日神社の社叢林、区分、市指定、種別、天然記念物(植物)、概要、神社の裏山には馬蹄形にみえる照葉樹林が発達。横浜市内に残された郷土樹林、すなわち斜面、急斜面地の照葉樹林の典型的な樹林。 地図上掲載番号⑩、街頭紙芝居 附舞台・拍子、区分、市指定、種別、有形民俗、概要、昭和30年代まで盛んであった子どもたちの娯楽の一つ。舞台を載せた自転車で、子どもに駄菓子等を売りながら、空き地や広場などを移動して演じられていた。横浜市歴史博物館保管。 【88ページ】 ◆ストーリーに関連する課題と方針 課題 ■個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 ■高齢化や社会状況の変化に伴う担い手不足、活動の機会の減少。 ■人から人へと伝えられるという無形の民俗文化財の性質上、一度途切れると継承が難しくなる。 方針 ■各地域で受け継がれてきた祭礼や行事を、関連する樹叢などとともにわかりやすく伝えます。 ■無形民俗文化財保護団体への支援や現況調査、指定等文化財の巡回調査等を進め、地域で育まれた歴史文化を次世代に継承します。 ◆関連する主な取組※28 番号1-2-1、重点取組、無形民俗文化財保護団体の現況調査、内容、地域に結びつきのある民俗芸能を継承し、後継者の育成等の保存継承に熱意のある団体を「認定団体」として選定し、必要な支援を行います。また、活動の機会が減少し、継承が困難な状況にある無形の民俗文化財保護団体の現況調査を進めます。実施主体、主体は専門、行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号1-3、再掲、指定等文化財の巡回調査、内容、指定等文化財の現況を把握するため、巡回調査を行います。実施主体、主体は専門、行政、参画は所有、実施期間令和6年度から11年度。 番号11-3-9、関連文化財群を活用した情報発信、広報、内容、地域で受け継がれてきた祭礼・行事を、関連する自然林や樹叢とともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。実施主体、主体は行政、参画は所有、団体、実施期間令和6年度から11年度、新規。 脚注※28 第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 【89ページ】 3節 文化財保存活用区域 ①文化財保存活用区域の目的  文化財保存活用区域とは、文化財が特定の地区に集中している場合に、その周辺環境を含め、当該文化財を核として文化的な空間を創出するための計画区域です。  本計画では、文化財保存活用区域を設定し、次の①~②を設定の目的とします。 ①区域内の文化財について、特性をふまえつつ、それらの積極的な活用に向けた、取組の検討を行います。 ②区域内の文化財所有者や諸団体などの市民、庁内関係者等との連携強化を図り、必要な取組を行うことができる体制構築を目指します。 ②文化財保存活用区域の設定の考え方  次の①~③を満たすものを保存活用区域として設定します。 ①横浜固有の歴史文化を物語る指定等文化財や歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく認定歴史的建造物が近隣に集積して存在し、一体で歴史的景観を形成するとともに、市民がそれらに触れるための仕組み(案内、ガイダンス施設等)が機能していること。 ②区域内に存する文化財のうち、少なくとも一つ以上が一般に公開されている、若しくは公共的な利用が行われていること。 ③文化財の活用、調査、保存保全等を担い活動する団体・企業等が複数存在すること。 ③本計画で設定する区域  文化財保存活用区域の目的及びその設定の考え方をふまえ、4つの区域を「文化財保存活用区域」として設定します。 1 関内区域  2 山手区域  3 三溪園区域  4 称名寺・朝夷奈区域 【90ページ】 1 関内区域 概要  関内区域は、幕末期の開港により、近代日本の経済や流通の中心となり、震災や戦災等の困難を乗り越えてきた歴史を伝える建造物が多く所在しています。その一部は、行政庁舎や賑わい創出の拠点などに活用され、良好な景観が残されています。関内区域は、日米修好通商条約によって1859(安政6)年に設置された開港場の中心地区です。開港場の警備のため、周囲を河川と水路で囲い、橋に関門(関所の一種)を設けたことから、この区域を「関内」と呼ぶようになりました。  開港後、横浜は国際性を有する近代都市として発展し、経済・文化の中心地として多くの人々が行き交いました。外国の文化を日本でいち早く取り入れたことから、アイスクリーム、ビール、ガス灯等横浜発祥といわれるものが数多くあります。  その後、関東大震災や横浜大空襲によって多くの街並みが失われましたが、人々の不断の努力により都市としての復興を果たしました。その過程を経て形成された都市基盤や、苦難を乗り越え現代にも残る戦前の歴史的建造物は、横浜の街並みを特徴付けています。特に、関東大震災によって焼失・再建された経緯を有する神奈川県庁本庁舎(国重要文化財建造物)、横浜税関本関庁舎(横浜市認定歴史的建造物)、横浜市開港記念会館(旧開港記念横浜会館、国重要文化財建造物)は、「キングの塔」、「クイーンの塔」、「ジャックの塔」と呼ばれ、「横浜三塔」として親しまれています。横浜第二合同庁舎(旧横浜生糸検査所、横浜市認定歴史的建造物)、赤レンガ倉庫等と合わせて、震災や戦災をくぐり抜けた歴史的建造物が今現在も活用されています。 【91ページ】 関内区域 文化財MAP 課題 ■近代建築や土木産業遺構に代表される歴史的建造物の減少に伴い、保全が必要。 ■歴史的建造物の積極的な活用及び普及啓発を通じた地区の魅力向上が必要。 方針 ■策定検討中の歴史的風致維持向上計画において重点区域に位置付け、地区全体の歴史を生かしたまちづくりの方針検討を行う。 ■居留地文化や二度の被災からの復興といった複合的な歴史に紐づく歴史資産の保全を行う。 ■歴史的景観の保全や景観計画との連携を図り、地区の一体的な景観形成を推進する。 ■歴史的建造物の個性や地域特性を生かして活用し、エリア一体の魅力向上、市民に身近な文化芸術創造都市を推進する。 関連する主な取組 番号8-6、再掲、遊休不動産の創造的活用(芸術不動産)、内容、主に関内・関外地区の遊休不動産のオーナーの方々と協働し、民設民営型の活動拠点を創造する芸術不動産事業を進めます。また、令和4年3月に改定した「芸術不動産ガイドブック」等により、遊休不動産の魅力的な活用事例を伝えます。実施主体、主体は団体、参画は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-7、再掲、創造界隈拠点としての活用、内容、関内・関外地区をはじめとする都心臨海部の歴史的建造物等を活用し、まちの賑わいづくりを進めます。実施主体、主体は団体、参画は市民、団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-8、再掲、歴史的風致維持向上計画の策定検討、内容、横浜の歴史を生かしたまちづくりの推進に向け、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づき、「歴史的風致維持向上計画」の策定を検討します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度、新規。 番号10-1、再掲、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化、内容、横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進めます。実施主体、主体は団体、参画は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 【92ページ】 2 山手区域 概要  山手地区は、旧外国人居留地としての国際性が今なお色濃く残されており、本市では、それらを形成する西洋館や外国人墓地などの歴史的資産を保全及び活用したまちづくりを進めています。異国情緒を感じる景観や開港以来の文化が継承され、横浜を代表する住宅・文教地区であり、この良好な環境は市民に広く親しまれています。  山手区域は、1867(慶応3)年に外国人居留地として開設されました。港や市街地を一望する丘陵地に位置し、居留外国人の住宅地として整備されたことで異国情緒漂う街並みが形成されてきました。斜面地や公園、歩道沿いの生垣、家々の庭等、各所に残された多くの緑が、かつての人々の暮らしを伝えています。日本初の洋式公園である山手公園は、1870(明治3)年に居留外国人によってつくられた外国人専用の公園で、テニス発祥の地となったほか、国内で初めてヒマラヤスギが植えられました。日本における西洋風の近代スポーツ・レジャーの原点とも言えるこの公園は、開国とともに日本に暮らした外国人達の生活様式と洋式公園として造作された風致景観が一体となって調和しているのが特徴的であり、2004(平成16)年に国の名勝に指定されました。  また、関東大震災以降に建設されたミッションスクール校舎やキリスト教会堂、外国人住宅等の歴史的な建造物も残っています。山手資料館には、居留地時代や関東大震災までの横浜や山手に関する資料が展示されています。  その他、関東大震災で倒壊後、再建された戦前のキリスト教会堂であるカトリック山手教会や、港の見える丘公園内の山手111番館、横浜市イギリス館(旧イギリス総領事公邸)のほか、山手イタリア山庭園には外国人住宅「山手18番館」、東京都渋谷区から移築した塔屋付西洋館「外交官の家」など、個性あふれる歴史的建造物が歴史的な街並みを形成しています。 【93ページ】 山手区域 文化財MAP 課題 ■西洋館に代表される歴史的建造物の減少に伴い、保全が必要。 ■地区の良好な景観の維持及び形成が必要。 ■住宅地としての質・環境と共存した歴史資源の活用が必要。 方針 ■策定検討中の歴史的風致維持向上計画において重点区域に位置付け、地区全体の歴史を生かしたまちづくりの方針検討を行う。 ■西洋館に代表される歴史資産を極力保全し、山手ならではの魅力を維持・向上する。 ■歴史的景観の保全や景観計画との連携を図り、地区の一体的な景観形成を推進する。 ■西洋館等を多様な主体と連携して活用し、エリアとしての魅力向上を図る。 関連する主な取組 番号8-1、再掲、歴史を生かした都市空間の形成、内容、歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史資産に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-4-2、公園内における歴史的建造物の公開・活用、内容、西洋館などの歴史的建造物を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号8-8、再掲、歴史的風致維持向上計画の策定検討、内容、横浜の歴史を生かしたまちづくりの推進に向け、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づき、「歴史的風致維持向上計画」の策定を検討します。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度、新規。 【94ページ】 3 三溪園区域 概要  三溪園は、横浜市中区本牧三之谷に位置し、明治末から大正末にかけて実業家・原富太郎(三溪)によって造られた庭園です。私庭でありながら1906(明治39)年からその敷地の一部を一般市民に公開するなど、地域に開かれた存在でした。戦後、原家から横浜市への寄附の申し出をきっかけに、三溪園を維持管理するために「財団法人(現在:公益財団法人)三溪園保勝会」が設立され、財団所有のもと、管理運営、公開を行っています。  三溪園の敷地は、富太郎の養祖父・原善三郎が明治初年頃に購入した本牧にある谷戸で、その広さは約53,000坪にも及びます。自らも茶人・美術品収集家であり、書画や漢詩を嗜んだ富太郎は、京都をはじめ様々な地域から歴史的建造物を集め、この敷地に移築しました。庭園としての景観上の調和に配慮しながら設計・配置されており、優れた近代和風庭園となっています。移築された歴史的建造物の中には荒廃して滅失の危機に晒されていたものも含まれており、この点において歴史的建造物の保存に大いに貢献しました。  建造物自体の価値が認められて、園内にある歴史的建造物17棟のうち、10件が国重要文化財に、3件が横浜市指定有形文化財に指定されている点は特筆すべきと言えるでしょう。これら歴史的建造物とランドスケープデザインとの調和、歴史的な観点と芸術的な観点が見事に融合した庭園となっています。そしてその優れた価値が認められて、2007(平成19)年に国の名勝に指定されました。  富太郎は、製糸・生糸貿易で大いに財をなした大実業家でしたが、その財力を生かし、三溪園の歴史的建造物のほか、仏画や茶道具などの古美術を多く収集しました。多くの文化人と交流し、若い美術家たちを支援し育てたパトロンとしても、日本近代美術史の興隆に大いに貢献しました。また関東大震災後には、横浜市復興会会長や横浜貿易復興会の理事長を務め、私財を投じて地域や文化に貢献した人でもありました。  富太郎の膨大なコレクションは、現在そのほとんどが三溪園を離れてしまいましたが、庭園と園内の歴史的建造物群は、こうした富太郎の文化的・社会的貢献の高さを物語っており、ひとりの実業家による文化財保護の事例として重要です。さらに歴史的建造物と庭園との一体的調和が醸し出す風致景観に優れた文化財として重要です。 【95ページ】 三溪園区域 文化財MAP 課題 ■文化財や建造物等の修繕及び維持管理費の財源の確保が必要。 ■未指定の歴史的建造物に対する調査・評価が必要。 ■庭園や重要文化財等の活用が主に観覧に限定されており、新たな活用方法・形態に関する需要の高まりへの対応が必要。 方針 ■本市における歴史・文化財の保存・活用のあり方を伝える貴重な資源として、保全・情報発信を強化し将来の世代に確実に継承する。 ■未指定歴史的建造物等の、文化財の指定・登録、歴史的建造物の認定等を推進する。 ■観覧以外の機能を導入・強化し、観光資源として魅力を向上させ、国内外からの誘客を促進する。 関連する主な取組 番号10-4-1、重点取組、重要文化財等の大規模修繕、耐震対策工事、内容、大規模修繕、耐震対策工事等を計画的に実施します。(三溪園内の建造物の計画的修繕・耐震対策工事等)、実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-4-2、重点取組、歴史・文化遺産を観光施設として整備、機能強化、内容、名勝や建造物を貴重な和の観光資源として整備し、機能強化を進めます。また、国内外に対して、三溪園の魅力や日本文化を積極的に発信します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-4-3、重点取組、三溪園における飲食・物販機能の拡充や新たな活用機能の導入、内容、観光機能強化に伴う周辺環境への影響等を考慮した施設計画・運営方法を検討します。また、都市計画で定められた用途制限について、活用に必要な緩和等を検討します。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号10-4-4、重点取組、文化財の学術調査、把握調査の充実、内容、未指定の歴史的建造物等について、文化財の指定・登録、歴史的建造物の認定等を進めます。実施主体、主体は団体、行政、実施期間令和6年度から11年度。 【96ページ】 4 称名寺・朝夷奈区域 概要  国指定史跡である称名寺境内と朝夷奈切通を含む一帯は、古代・中世から近世にかけて都市鎌倉と結びつきが強く、その後の歴史を語る上で重要です。称名寺境内と朝夷奈切通は、世界遺産の暫定一覧に掲載の「古都・鎌倉の寺院・社寺ほか」を構成する文化遺産です。 ◆中世の港湾都市「六浦」  六浦津は、東京湾に面して深く入り江が入り込んだ天然の良港で、中世には都市鎌倉の繁栄を支える物資を供給する湊として繁栄しました。河川によって東京湾とつながる関東平野や、対岸の房総半島から集積された物資がここで陸揚げされ、朝夷奈切通などを経て鎌倉へもたらされました。また中国から直接船が着岸した伝承として「三艘」という地名も残ります。この一帯には、古くからの寺社、史跡、旧跡等が数多くみられ、往時の様子をうかがい知ることができます。 ◆朝夷奈切通(国指定史跡)  いわゆる「鎌倉七口」の一つで、現在の鎌倉市十二所と横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道です。『吾妻鏡』には1241(仁治2)年に執権北条泰時が御家人たちを指揮して、道を造ったと記されています。南に広がる相模湾を除く三方を山に囲まれた鎌倉を陸路で結ぶ切通のうち、この朝夷奈切通は、鎌倉と六浦津を結び、軍事的かつ、関東一円からの物資を運ぶ経済的に重要なルートになりました。 ◆称名寺境内(国指定史跡)  鎌倉時代に執権を代々務めた北条氏の一族である金沢北条氏の実時によって創建された寺院です。金沢北条氏の菩提寺として受け継がれ、実時の子孫によって伽藍や浄土庭園が整備されました。交通の要衝に位置し、多くの学僧や文人が行き交い、東国有数の学問寺として知られていました。  また、境内の南側に広がる称名寺貝塚は、関東地方一円に分布する縄文時代後期初頭の土器形式「称名寺式」の標式遺跡として学術上有名です。 ◆金沢文庫  鎌倉幕府執権の北条時頼から時宗の時代に権力の中枢にいた北条実時は、勉強家としても知られています。政治や法律・文学等に関わる書物を収集して学び、それらを金沢の別邸に文庫を作って保管したと考えられています。これが金沢文庫の始まりです。鎌倉幕府崩壊後、金沢文庫の管理は称名寺に任されましたが、次第に衰退し、蔵書も散逸しました。  その後1897(明治30)年には、初代内閣総理大臣・伊藤博文の肝いりで再興されましたが、関東大震災で大きな被害を受けました。  神奈川県立金沢文庫は、この由緒ある金沢文庫に期限をもち、1930(昭和5)年に県立の機関として復興されました。歴史博物館として活動し、所蔵する資料の多くは、金沢文庫・称名寺ゆかりの国宝をはじめとする文化財となっています。 【97ページ】 称名寺・朝夷奈区域 文化財MAP 課題 ■樹林の成長、自然的環境の変化による地形の崩壊や危険木等への対応が必要。 ■歴史的価値が損なわれないような自然災害への対応、適切な管理・公開が必要。 ■身近にある自然、歴史、文化等の地域資源の活用促進が必要。 方針 ■称名寺、朝夷奈切通等において適切な管理や保護の取組を行い、自然と調和した歴史的な空間を保全する。 ■称名寺・朝夷奈区域内に所在する文化財について、多様な主体と連携し、歴史的価値の発信や、文化芸術活動の機会創出を推進する。 関連する主な取組 番号4-3-2、重点取組、市内の史跡等の崖地対策工事等の実施、内容、称名寺境内、朝夷奈切通、御伊勢山・権現山において、文化財的価値に配慮しながら、崖地の安全対策を計画的に進めます。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号6-2-3、市内の史跡等の公開・管理、内容、国史跡称名寺境内、上行寺東遺跡復元整備地の維持管理、必要な整備を行い、適切に公開します。実施主体、主体は行政、参画は団体、実施期間令和6年度から11年度。 番号7-3-1、地域の文化財を活用したイベント等の実施、散策ルートの活用や案内板の整備、内容、区域内の文化財を活用した散策ルートの活用や案内板の整備、称名寺のライトアップなどを行います。実施主体、主体は行政、実施期間令和6年度から11年度。 番号9-1-1、文化財を活用した文化芸術活動、内容、称名寺境内において、歴史文化の魅力を感じつつ、能や狂言の鑑賞などの古典芸能に親しむ機会を創出します。実施主体、主体は市民、参画は行政、実施期間令和6年度から11年度。 【98ページ】 第7章 文化財の保存・活用の推進体制 本章では、本計画を推進するにあたり、行政の体制とその他関係者との連携について整理しました。 1節 推進体制  本市の文化財の保存・活用を進めるには、行政や文化財の所有者のみならず、それらを取り巻く市民、関係団体、民間企業や専門機関等のそれぞれが主体となって、相互に連携・協力しながら取り組む必要があります。このことは、日頃の文化財の維持管理や活用などの取組のみならず、災害発生時などにも有効です。  本計画では、文化財保護を所管する教育委員会と庁内の関連部署との連携を図るとともに、市民や関係団体、民間企業等のそれぞれが主体となって参画、相互に連携しながら、国の指導・助言、県の助言のもと、本市の文化財の保存・活用に取り組んでいきます。  なお、発災時には、文化財防災センターとの連携や支援の要請なども行い、初動対応の迅速化と連携・情報共有を図ります。 2節 行政の体制 ①文化財保護主管課 教育委員会事務局生涯学習文化財課 【事務分掌】 ■文化財の調査、保存、管理その他文化財の保護等に関すること。 ■文化財に関する資料の収集及び刊行に関すること。 ■文化財施設に関すること。 ■博物館の登録等に関すること。 ■公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団に関すること。 ■横浜市文化財保護審議会に関すること。 【体制】 職員10名(うち埋蔵文化財専門職員4名) 【99ページ】 ②歴史を生かしたまちづくり主管課 都市整備局都市デザイン室 【事務分掌】 ■都市デザインに係る企画及び調整に関すること。 ■横浜市都市美対策審議会に関すること。 ■歴史的建造物の保全活用等歴史を生かしたまちづくりに関すること。 ■景観形成に係る基本的な方針に関すること。 ■その他都市デザイン等に関すること。 ③関係部署  本計画で実施する取組について、連携する主な部署を記載します。その他の部署においても、関連する取組において連携を図ります。 表7-1 指定等文化財を所有・所管する主な関係局 関係局、環境創造局、所管する文化財、旧内田家住宅、横浜市イギリス館、山手111番館、茅ケ崎城址 等 関係局、港湾局、所管する文化財、旧横浜船渠株式会社第一号船渠、日本丸 関係局、にぎわいスポーツ文化局、所管する文化財、三溪園、旧染井能舞台、横浜市大倉山記念館、旧日本綿花横浜支店事務所棟 等 関係局、水道局、所管する文化財、横浜市西谷浄水場濾過池整水室上屋3号棟 等 表7-2 文化財の保存・活用に関連する事業・取組を実施する主な関係局 関係局、消防局、所管する文化財、文化財を対象とした防災訓練 関係局、教育委員会事務局、所管する文化財、文化財を活用した学習支援 関係局、都市整備局、所管する文化財、歴史を生かした都市空間形成 関係局、にぎわいスポーツ文化局、所管する文化財、三溪園の観光資源としての磨き上げ、横浜美術館の文化観光拠点としての機能強化、遊休不動産の創造的活用、文化財を活用した文化芸術活動 等 関係局、港湾局、所管する文化財、横浜港に関する文化財を活用した賑わい創出 関係局、環境創造局、所管する文化財、名木古木の保存、公園内における歴史的建造物の公開・活用、谷戸の原風景の保全 関係局、道路局、所管する文化財、震災復興橋梁の保全 関係局、総務局、所管する文化財、市史資料等の保存活用 関係局、各区局、所管する文化財、歴史文化に関する情報発信、地域の文化財を活用したイベント等の実施、情報発信 等 3節 行政以外の主体  本節では、本計画で実施する取組について、連携・協力が必要となる主な主体を記載します。具体的な取組を進める上で、必要に応じてその他の主体との連携・協力も行います。 ①所有者等  所有者等とは、文化財の所有者、保存団体、管理団体、技術者・技能者等を指します。 ②専門機関  専門機関とは、各分野を専門とする有識者で構成される文化財保護審議会、大学等の研究機関等を指します。主なものとして、次のような専門機関があります。 【100ページ】 ◆文化財保護に関する機関 横浜市文化財保護審議会 文化財の保存及び活用に関する重要事項を調査審議し、並びにこれらの事項について建議する教育委員会の諮問機関。 横浜市無形民俗文化財保護団体育成検討会 横浜市無形民俗文化財保護団体の認定団体の選考等にあたり、教育長に必要な助言を行う。 横浜市ミヤコタナゴ保護育成検討会 国指定天然記念物ミヤコタナゴの本市域における保護育成事業の推進に関し、次の事項について教育長に必要な助言を行う。 (1)ミヤコタナゴの生息環境調査に関すること。 (2)ミヤコタナゴの保護増殖に関すること。 (3)ミヤコタナゴの保護育成に係る市民への普及啓発に関すること。 (4)その他ミヤコタナゴの保護育成に関すること。 横浜市文化財巡回調査員 横浜市内に所在する指定・登録文化財等の現状と管理状況の把握を目的として現地を巡回し、各物件の実態を調査する。 ◆歴史を生かしたまちづくりに関する機関 横浜市都市美対策審議会 国際港都横浜にふさわしい都市の美観を高め、及び魅力ある都市景観の創造を図るための市長の諮問機関。 歴史的景観保全委員 専門家及び市民の意見を取り入れて歴史的景観の保全と活用の推進を図るために設置。 ◆大学等  文化財の保存・活用、横浜の歴史文化に関する研究・取組を行う大学や研究機関。なお、本市と神奈川大学は2020(令和2)年3月に包括連携協定を締結し、「共同研究等の充実や教育全般に係る支援・協力に関すること」として、市の歴史資料、文化財等の保存や普及啓発、調査研究を共同で実施することとしている。 ③市民・市民団体  市民・市民団体とは、横浜市居住者や市内在学・在勤者、歴史文化の保存・活用に参画する市民団体(NPO法人、市民ボランティア等)といった主体を指します。 ④関係団体・企業  関係団体・企業とは、文化財の保存・活用に参画する公益法人や民間企業等を指します。主なものとして、次のような関係団体があります。 ◆公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団  横浜に関係した歴史の理解に資する国内外の資料や文化財の調査、研究、収集、保管及び公開を行うとともに、歴史や文化財に関する普及啓発を行い、先人たちの歩みや積み上げてきた文化を市民共有のものとし、さらに次世代へ継承していくことで、ふるさと意識の醸成及び市民文化の発展に寄与することを目的に設立。  時代領域ごとに設置された横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館、横浜市三殿台考古館等の管理運営を行うとともに、施設同士の連携のほか、本市をはじめとする行政、大学との連携、市民との協働事業、学校訪問授業等も実施。 【101ページ】 ◆公益財団法人 三溪園保勝会  国民共有の文化遺産である重要文化財建造物等及び名勝庭園の保存・活用を通して、歴史及び文化の継承とその発展を図り、潤いある地域社会づくりに寄与するとともに、日本の文化を世界に発信することを目的に設立。  庭園及び歴史的建造物(国重要文化財10件、市指定文化財3件を含め、計17件)を所有し、それらの維持管理、公開、貸出しのほか、それらを活用した日本の伝統・文化の紹介、各種イベント等を実施。 ◆公益財団法人 横浜市芸術文化振興財団  芸術文化を総合的に振興することにより、横浜独自の魅力ある都市創造のための社会基盤の整備を推進し、もって創造性豊かで潤いと活力に満ちた市民生活の実現に寄与することを目的に設立。  横浜美術館コレクションの国内巡回展、横浜能楽堂等での企画公演等のほか、横浜美術館・横浜能楽堂による教員向けプログラム、若手アーティスト、クリエイターの支援事業等を実施。 ◆公益財団法人 横浜観光コンベンション・ビューロー  横浜市及び神奈川県を中心とする産業・技術等の情報資源や歴史的・文化的資源を活用し、国内外からの観光客の誘致・コンベンションの誘致及び開催支援等を行うことにより、横浜市及びその周辺地域における観光・コンベンションの振興を図ることを目的に設立。  「横浜観光情報」公式ウェブサイトや各種SNSの運営、外国人来訪者が滞在しやすい環境整備(多言語対応等)のほか、歴史的建造物を観光に活用するなど、市内の地域資源を生かした高付加価値コンテンツ開発等も実施。 ◆公益財団法人 帆船日本丸記念財団  海国日本の船員養成に輝かしい功績を遺した練習帆船日本丸を国際港都横浜において永く保存し、同船を公開するとともに青少年の錬成の場として活用し、併せて博物館等において、海と港と船に関する理解と知識の増進を図ることを目的に設立。  国重要文化財である帆船日本丸の保存、公開、普及啓発事業を行うほか、2022(令和4)年にリニューアルオープンした「みなと博物館」では、横浜港の歴史を体験できる、常設の体験型VR施設等を導入。 ◆公益社団法人 横浜歴史資産調査会(YOKOHAMA HERITAGE:ヨコハマヘリテイジ)  「歴史を生かしたまちづくり」の推進に資することを目的に設立。  歴史的資産の保全活用に関する調査研究、セミナーや見学会等の普及啓発を行うとともに、本市と連携し、歴史建造物の所有者支援を行うための「歴史を生かしたまちづくり相談室」を設置。  歴史的建造物を取得し、その保全活用の取組も進めており、「野毛都橋商店街ビル」を公益財団法人横浜市建築助成公社から寄贈を受け、所有している。 ⑤教育機関  教育機関とは、市民が歴史文化を学ぶ機会を提供する学校、博物館、図書館等を指します。